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sometime,somewhere...
Posted by - 2024.04.26,Fri
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Posted by sammy - 2022.01.02,Sun

running car on evening road / Havana, CUBA


2005年6月、僕はハバナの路上に、そしてニューヨークの雑踏の中にいた。
ハバナでは旧市街と新市街との境にあるベダートと言う安価なホテルに泊まり、旅の日課と言えばここからただ何のあてもなく旧市街方面へと散策を繰り返し、そこで出会うキューバの日常、人々の姿をカメラに収めることだった。
僕はこの時、フィルムカメラのコンタックスに旅の日数とほぼ同数のリバーサルフィルムを用意していたと思う。
旅行後の現像代も気にはなっていたからバシャバシャと撮りまくるのではなく、「ここぞ!」と感性を惹かれるような場面、瞬間、出会いを狙って丁寧に撮っていたがハバナの下町、特にセントロと呼ばれる昔ながらの居住区は人々が魅せる笑顔も素朴で屈託がなく、僕はただそれらを写真に収めているだけなのにハッピーな気分になって街の散策を繰り返していた。



old couple / Havana, CUBA



heart to Cuba / Havana, CUBA



kiss / Havana, CUBA


この国にある社会主義の暗い影は僕に向けてくれる笑顔でかき消され、発展とは程遠い古びた街並みは郷愁や懐かしさと言った古き良き時代そのものを印象として与えてくれた。
この旅で僕が日本から手配した航空券は当時就航していたコンチネンタル航空のヒューストン経由カンクン行きで、キューバへはカンクンにある日本人宿カサ吉田でホテル代と航空券がパッケージになった安価なものを購入し、帰路は再びカンクンで1泊し、その翌朝コンチネンタル航空のニューヨーク便に搭乗した。



Stars and Stripes / New York, USA



Grand Central Station / New York, USA


キューバとアメリカ、ハバナとニューヨーク。
この対立する2国、代表する2都市を1度の旅で体感してみたかったからだ。
もちろん、これはキューバと国交のないアメリカ国民では成しえないことで、日本人はパスポートへの査証代わりのツーリストカードを購入することでキューバへの入国が許されていたから出来ることでもあった。

ニューヨークはマンハッタンのタイムズスクエア近く、ポート・オーソリティー・バスターミナル裏にあるサムとヒロシ、二人の日本人が経営するタイムズスクエア・ベッド&ルームを常宿としていた。
ここはいわばニューヨークのど真ん中、42ndストリートの裏路地41stストリートにあり、華やかな表通りと背中合わせにホームレスの姿もチラホラとあり、ビルの谷間から差しこむ光に照らされた路上は、どこか暗い影を落としている。
わずか1日前、ハバナの路上で感じた人々の幸せはどこか矛盾した形でここニューヨークでは僕には映ってしまう。

「どこか…、どこか…」



LOVE / Havana, CUBA



Girls / Havana, CUBA



young ladies / New York, USA


そう思う心のチラツキは、ハバナでハッピーな気持ちになった自分が、ここニューヨークではそれほどまでになれなかったからだと思う。
「光と影」という言葉が頭に思い浮かんだ。
人々の印象としては華々しいニューヨークの光と、発展に程遠い社会主義国キューバの首都ハバナに感じる影。こう思うのが妥当だろう。
でも、その現実の対比を目の当たりに見た時、僕の印象は逆だった。



business man / New York, USA



soap blower / New York, USA



Times Square / New York, USA


僕は貧しかったハバナの人たちの純粋な優しさに惹かれ、その思いは人々が目まぐるしく行き交うここニューヨークでは感じとることが出来なかったのだ。



42nd Street / New York, USA


百聞は一見に如かず。
こう思えるから、僕はその後も旅を続けている。
コロナ禍で渡航が出来ず、リモートで世界を見れても、それは現実の旅にはなれない。
旅はその場へ足を運ばない限り、心には残らない。



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あけましておめでとうございます

コロナ・ウィルスが世界中に蔓延して早や2年。
新たな変異株の広がりなどを見るにつけ、コロナ禍を終息させるには対策において貧富の差をなくさない限り、延々と続いてしまう危惧を感じます。
先進国があって途上国があることは仕方がないことでもあり、逆に僕らはその対比を旅することで学び楽しんできました。
けれど、このウィルスをなくすにはその差があってはなりません。
この2022年、そういった動きに加速がつきますように。



John's Spirit / New York, USA



Carnegie Hall / New York, USA


最後の1枚はニューヨーク、カーネギー・ホール。
そう、あのブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ・バンドが演奏した場所。
旅の最後、ここへと辿り着いたこと。感慨深かった!

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Posted by sammy - 2013.02.27,Wed
 
チビッコ尼さん / Mandalay, MYANMAR


今、迷っている最中なのが本年中の写真展開催の有無。
昨年は3月半ばの時点で市内にある市民ギャラリーから、「すでに抽選を終えた半年以内であれば、空いている展示室の使用は何日でもOK」との説明を受け、ならばと一発奮起し初の試みとして8月末開催4日間限定での初写真展「原色のカンボジア」を催すことが出来た。
ただ、正直な感想として「疲れた」気持ちが「効果」を上回ったことは確か。
そこから生まれた人との出会いもあったが、4日間を通しての入場者数は300名を切る程度だったし、年齢層も圧倒的にシニアが多く、平日はチラホラ程度の入場者に留まったし、はたして「期待」を持って来ていただいた方がどのくらいいたかと思うと恥ずかしい気持ちになってしまうほどだったのではないかと思う。
そして、少なからず「期待」というものに応えられていたかどうかと思うとこれまた、こういったものは自己満足の域を超えないような気がしてならない。
自分では結果がどうあれ、出来たことだけで満足だったし、地元マスコミにも取り上げていただき、友人同僚らの協力もいただき、旅の中での活動が結実したことに満足もした。
だから、去年の写真展が終わった時点では、「数年後にまた」という継続的な気持ちも芽生えた。
少なくとも、「来年またやろう」という気持ちにはなれなかった多々さまざまな思いもあった。

気持ちが変わってきたのは年が明けてからだった。
仕事をして旅をして、それなりに忙しい毎日を送る中で、ふとポッカリと穴が空くような時間が生まれた時だ。
「目標」とか「チャレンジ」が自分にはなく、向けるものがないのである。
その向けるべきものが写真展だけとは限らないが、素直にやりたいと思うことから向けていくとそこには辿り着く。要は自らが感じて撮った写真を通し、感動の共有が出来る歓びがあるからかもしれない。

* * *

去年の「原色のカンボジア」写真展は、写真展をやりたいというより、カンボジアの写真展をやりたいという気持ちが強かった。カンボジアに対する思いの強さもあり、来ていただいた方に胸をはれる思いもあった。
では、今度は何に対して思いがあり、その思いを伝えるような写真展となると浮かんでこない。
作品数、出来栄えなどからいけばミャンマー、キューバといった写真展も面白いかもしれないが、どうもその思いからさらにグイッと進めてくれる思いが込みあがってこない。
では、テーマをどこかの国に充てるのではなく、単純に主催者個人の作品展にしてしまうのはどうか?
そうなればクオリティーは格段に上がるが、自分にはどうしても邪道に映ってしまう。
それよりも何よりも、写真展は使用料さえ払えば個人でも出来るが、設営や片付けには少なくとも2名以上の応援スタッフが必要だし、そう考えると易々と決めることにも躊躇してしまう。
そういったネガティブな気持ちとは裏腹に、2年連続での開催ならば前回の取材を通じて知り合ったマスコミへの協力依頼やら、来場してくださった方々へのDM案内など、記憶が新しいことでの利点も多々ある。

う~~ん、どうしようか…。
この場を通して問いたい今の心境です(笑)!

Posted by sammy - 2011.12.11,Sun

evening beach / Sihanoukville, CAMBODIA


旅とカメラは切り離せないものになっている。
位置付けとしては、旅を楽しむためにカメラは必要であり、それは散策を楽しむためだったり、個人的に感動を収めたかったり、時には言葉の通じない現地の人たちとの交流を手助けしてくれる口実代わりだったりもする。

では、結果として撮った写真をどのように活用するかと言うと、自分自身でも疑問符が付いてしまう。
プロでもない自分は収入のためでもなく、「ただ漠然と撮り溜めている」のが現状であって、写真集を出すだとか、人々を集めて写真展を開催するとかでもない。だから、明確には答えづらい。
そんな自分に打ってつけだったのが、こうしたブログや自サイトを利用したネットでの作品発表だった。

ネット社会は主流の移り変わりも早い。
かつてはサイトを使った交流も盛んだったが、今はこうしたブログも含めた個人の場所よりも、より多くの人たちが集まるコミュニティ・サイトの方が盛んで、写真を発表するにしても評価や共感共有をいただくにはそういった場へ参加するのが手っ取り早い。
僕も最初は見よう見まねでzorgというサイトへ登録したが、その後はよりデザイン性の高いfotologueへと場を移し、そのfotologueも作品をまとめられるアルバム数に制限があると分かると、より多くの分類をしたくflickerへも参加をした。
zorgやfotologueがいわゆる日本のサイトであるのに比べて、flickerは日本語での説明のない海外サイトではあるが、僕と同じような「旅=フォト」の生活文化密着型の写真がワールド・ワイドに多く、共感を求める意味でも最近は専ら、このflickerを発表の場としている。
ただし、その「最近」とはここ数日のことと、今年3月以前のことであり、その間の8ヶ月くらいは作品発表という立場から僕自身が離れてしまっていた。
旅には出ても、その後の整理が億劫で煩わしかった。日々の忙殺で。
だから、日常の中で余裕を見つけられるようになったのはごく最近のことなのかもしれない。少なくとも、この春以降では…。

flickerは登録は無料だが、その場合の作品発表枚数は200枚以内に限られている。
今日、2年間約$48の有料登録を済ますと共に、新たに11枚の作品を発表の場へと更新をした。
発表の場を持てないアマチュア写真家にとって、月平均にして$2の登録料が安いか否かは明らかで、この出費で作品発表の場を得られるのであれば活用しない手はない。
世界中不特定多数の人たちに共感を憶えていただくため、英語が片言程度の僕は翻訳サイトを手助けに各作品のタイトル名だけは英語表記にしてみた。

撮影したどの写真にも撮ろうと思った動機があり、僕の中では思い入れのあるものだから発表の場へ持って行きたいが、そういった思い入れはエピソードと共にこの場での活用もある。
だから、flickerへの作品選定は僕の中では選りすぐり(?)にさせていただいた。

自らの旅サイトとして、旅行記や写真をまとめた「さまよいの地球」もあるが、ここ数年同様、おそらくは今後も旅のエピソードや写真はブログとflickerのみに更新する予定。
そのどちらも今後とも、ヨロシク!