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sometime,somewhere...
Posted by - 2024.04.25,Thu
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Posted by sammy - 2021.07.16,Fri

小麦畑 / Hokkaido, JAPAN


北の大地を旅したい!
旅の虫がうずいたのは数日前。予期せぬ形で3連休があったからだが、予算や現状を考えて結局は実現に向かわなかった。
今から30年前、1990年代、僕は北の旅人だった。
旅のスタイルは愛車を駆ってフェリーで北海道へ渡り、自由気ままに車を走らせ旅をする。
宿はユースホステルやとほ宿と呼ばれる旅人宿。それらへ泊まれば同じように旅をしている誰かしらと親しくなれ、旅の輪も広がった。
おそらく当時は決まり決まった日常から逃避できる唯一の手段が旅で、リアルに人とふれあえるのも旅だった。
当時の職場は男ばかりだったから、新鮮な気持ちになれるのも旅の魅力だったのかもしれない。
テレビ・ドラマ「北の国から」の影響もかなりあった。90年代は80年代に放映された連続ドラマの続編となる特別版が数年おきに放送されていた。
夏、美瑛の丘は一面の麦畑が大地を黄金色に輝かせ、富良野は満開のラベンダーが風にそよぐ。
それらを楽しめるのはちょうど今時分からの1週間くらいで、18日からの3連休がそれらと重なることから旅の虫がうずいたが、ワクチン接種券も手元に届き、あともう少しの我慢だと自戒する今、かつての夢を振り返るのは止めにした。



ラベンダー畑 / Hokkaido, JAPAN


ファーム富田 / Hokkaido, JAPAN


最後に夏の美瑛・富良野を旅したのはもう、12年前になると思う。最後に北海道へ行ったのも8年前。ずいぶんと遠ざかってしまった。
今回、旅の虫がうずいたことからいくつか検索をした。
道東、弟子屈に「ひとつぶの麦」という常宿があったが、3年前に廃業していることを知った。
コロナ前の廃業だから、きっと潮時だったのかもしれない。
僕が北の大地を楽しんだ90年代と今では明らかに時代は変わり、見知らぬ人との出会いやふれあいはスマホ片手に出来てしまう時代になってしまった。もしかしたら、旅に出る意義も薄れてしまってきたのかもしれない。
でも、何かが満たされない…。
まだまだ続くコロナ禍。
この満たされない気持ちとの葛藤は続きそうだ。


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Posted by sammy - 2012.10.10,Wed


摩周湖 / Hokkaido, JAPAN


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神の子池 / Hokkaido, JAPAN


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紅葉 / Hokkaido, JAPAN


十月十日。
かつて僕はこの日を目安に旅を重ねていた。

初めて旅らしい旅をしたと思えるのは22年前の1990年秋。
深夜の国道と高速道路を乗り継ぎ新潟まで車で走り、さらにはそこからフェリーで小樽まで。
待っていたのは秋色に染まった大地、北海道だった。
知床で初めて旅人宿へ泊まったその晩、「北海道で紅葉を楽しむならば十月十日を目安にしてみてください」とレクチャーされた。思えばその時、見知らぬ旅人同士が語らうという体験も初めてだった。
それから10年あまりは毎年のように十月十日を日程に組み入れ、北海道を旅した。
そこには日常の空気とは違った何かがあり、その明確ではない何かを楽しむために旅を重ねていった。

2000年代に入り、僕の旅の志向は海外へとシフトしてゆく。
旅の予算はガソリン代や高速料金、フェリー代、さらには雑魚寝の旅人宿でも1泊5000円前後はかかる時代へとなると、飛行機で一っ飛び出来る海外は時間の節約に加え、行き先によっては旅の予算もはるかに安かった。

昨年秋、十月十日は過ぎたがその数日後に4連休をいただけたことで、久方ぶりに秋色に染まる北海道へと飛んだ。
かつてのような一晩はひたすら新潟へと走り、さらにもう一晩はフェリーで過ごす旅ではなく、溜まったマイレージを使っての飛行機にレンタカーを借りての旅だった。

北海道は言うなれば僕の旅の原点。
かつて感じたような何かがなくとも、行けたことだけで甦るものが多々あった。
とにかく、空気が爽やかだった。
あわよくば「今年も」と好奇が過ぎったが、十分過ぎる思い出がある北海道よりは他の旅へと日程も予算も組み替えた。
今の自分が志向する旅は北海道を旅した頃とは大きくかけ離れたけれど、日常を離れて愉しむ裕福さは今も昔も変わらない。
日常があって旅があり、旅があるから日常も成り立つ。
十月十日にしてそう思う…。

 

Posted by sammy - 2011.12.22,Thu

夕日に染まる牧場 / Hokkaido, JAPAN


もうかれこれ2ヶ月以上前の10月中旬、僕はおよそ9年ぶりに北海道の道東地方を旅した。3泊4日の小旅行で。
北海道はかつて毎年のように愛車を駆ってあてのない旅を繰り返し、そういったリピーターで口にする北海道病とかいうやつに僕自身も十分に罹っていると認識をしていた。
ところが2003年以降、美瑛・富良野を飛行機+レンタカーで小旅行をした以外、道東地方への旅はとんと御無沙汰になってしまった。
海外志向へと気持ちが走ったこともあるが、北海道病の後遺症で飽きてしまった上に旅の予算を考えると北海道は割に合わない行き先でもあった。日本の物価は高く、レンタカー代などの移動費も含めれば予算はかさむ。
僕自身が求める旅の志向も変わっていった。


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大空と大地 / Hokkaido, JAPAN


かつて何度も訪れていた弟子屈にある旅人宿「ひとつぶの麦」は御無沙汰な僕にも関わらず、毎年のように年の初めに年賀状の挨拶をいただいていた。
オーナーの藤原さんと初めて会ったのが1994年の夏。
当時は足寄のはずれにあるオンネトーという湖の先に湯の滝と呼ばれる無料の混浴露天風呂があって、そこで入浴中に5,6人グループで同じく入浴に来ていたのが藤原さんで、その晩に泊まった宿が偶然にも藤原さん経営の「ひとつぶの麦」だった。
もちろん、入浴時に顔を合わせた時には宿のオーナーなどとは知らずに、そのグループの面々も前日からの連泊者だったことから、この奇遇な出会いはその晩の笑い話にもなった。


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牧場秋景色 / Hokkaido, JAPAN


10月中旬に4連休が出来たと分かった時、僕はどうしても道東と「ひとつぶの麦」にこだわった旅をしてみたくなった。
理由は単純で、かつての旅を僕の中でリピートしたいだけだった。それは観光目的などのない旅でもあって、思い出の中へ自分自身が帰る旅でもあった。
釧路空港を発着とし、レンタカーも借り、宿は3泊とも「ひとつぶの麦」に泊まる。それだけを決めて道東の大地に降り立ったのが10月16日。
夕暮れ迫る根釧原野を走り、すっかり道を忘れてしまった弟子屈町へ着いたのが日が暮れた午後5時過ぎ。
ナビを頼りに真っ暗な大草原を走り、藤原さんと9年ぶりの再会を果たす。
宿は定員20名にも満たない男女別相部屋の雑魚寝スタイルで、食事は見知らぬ旅人同士が同じテーブルを囲んでし、その場での雑談の延長は安い焼酎などで酌み交わす無料の飲み会へと続く。
これで1泊2食付3000円。
以前は3800円ほどの料金設定をしていたが、他の同形式の旅人宿が軒並み値上げをする中、藤原さんの宿は時代に逆行するかのように値下げをしていた。
いや案外、時代に逆行したかつてのカニ族全盛の70年代ユースホステルの継承みたいなものでもあるから、それに合わせて値段を下げたのかもしれない。オーナーの人柄が1泊2食付3000円の料金にも表れていた。


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阿寒の山々に沈む夕日 / Hokkaido, JAPAN


3泊4日と言っても初日は夕暮れ後に到着をして、最終日の朝は早朝の出発で空港へ向かい午前のフライトで帰る。
旅の日程は実質2日間だけで、その1日目は中標津や別海といった酪農地帯を車で走り抜け、雲の広がった午後は中標津の奥座敷、養老牛温泉で清流と紅葉とが絡み合う絶妙のロケーションで露天風呂三昧をする。まさに、「大人の休日」の実感だった。
2日目は裏摩周~清里とオホーツクに向け走り、世界遺産になり、すっかり欧米の観光地のように門構えを変えてしまった知床五湖へと行く。あいにく、目前に聳える羅臼岳は雲がかかって望めなかったが、大自然は昔のままだった。
知床から峠を越え再び弟子屈へと戻るその日の夕暮れ、丘陵地帯を西へとゆるやかに走るパイロット国道の大地を夕日が正面から照らし、やがて日が落ちると目の前の大地がシルエットとなって薄紫色の空と淡いオレンジ色の帯が広がる地平線の下へ映る。
遠く斜里岳、摩周岳、阿寒の山々…、感動的な時間だった。

***

紅葉の見頃も過ぎた小さな宿は、3日間とも少人数の宿泊客でかつての賑わいもなかったが、何もかもが以前と変わりはなかった。
ただ変わったと言えば、ヘルパーと呼ばれるお手伝いさんがここ数年確保出来ない状況が続いているそうで、たった1人無休で切り盛りしている藤原さんは「もう限界だ…」などと嘆いていた。
宿は来年7月で20周年を迎えるが、真剣に存続を考えていると言うことだった。

「もしかしたら、これが最後になるかもしれない」

そんなことを思い浮かべながら釧路空港へと向かった最後の朝、「帰る場所がなくなっちゃうな」とふと思った。
できればいつかまた帰りたい。そう願う…。


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