忍者ブログ
sometime,somewhere...
Posted by - 2024.04.20,Sat
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Posted by sammy - 2020.03.10,Tue

王宮周辺の路地


時は23年前の1997年2月。
当時、テレビ番組の企画でお笑いコンビの猿岩石がヒッチハイクでユーラシア大陸を横断し、「よし、オレもワタシも行ってやろう!」とタイのバンコクは多くの日本人旅人で賑わっていた。
その企画の題材となったのが沢木耕太郎のフィクション小説「深夜特急」。
僕も当時の時流に乗っかった一人で、その前年に生まれて初めて行った海外、ニュージーランドで何もかもが噛み合わず、「もう、海外旅行は行かない!」と断言していたのに「深夜特急」に感化され、「アジアか…。昔の日本みたいなノスタルジーがあるのかなぁ?」と気が揺らぎ、気づけば38,000円のバンコク往復格安航空券を買っていた。



バンコクの古い街並み



スラム街


2月5日、同じように「何となく来ちゃった」面々とバンコク・ドンムアン空港で意気投合しバンコク市内へとタクシーをシェアする。
「地球の歩き方」と「深夜特急」は持参していたがスマホもなかった時代。ましてや、インターネットも普及前。
みんな心細く不安だったし、とにかく情報集めが不安も解消し、旅を楽しくするとばかりに飢えていた頃。
旅人はお互いの交流を求め、一人旅でも皆が共に旅をしているような時代だった。





旅の相棒、カメラもフィルムの時代。
ネガ・フィルム、モノクロ・フィルムに一眼レフとバカチョン(バカでもチョンでも撮れることからそう呼ばれていたコンパクト・カメラ。今ではパワハラ用語?)を駆使し、ワット・ポーや王宮、ワット・アルンといった観光地を巡った。
夜には日系の旅行会社パンダ・バスから買ったチケットでカリプソ・キャバレーのニューハーフ・ショーを観に行ったり、いわゆる観光をひとまず終えた頃、「深夜特急」を真似てタイのバンコクからマレーシアのペナンまで国境を越える旅に出る。
但し、旧正月と重なった不運から行きは鉄道のチケットが買えず、ファランポーン駅で声を掛けられた業者にまんまと騙され、割高のバス・チケットを買わされた。
気づいたのは同乗の日本人数名がそれぞれチケットの値段が違ったこと。業者ではなくバス・ターミナルで普通にチケットを買えば格安だったわけである。



カリプソ・キャバレー


タイに続き、これまた人生初のマレーシアではペナンからフェリーでランカウイ島へ行ったり、「2月なのに泳げる海」という遠くまで来た感覚を存分に楽しんだ。
ペナンで宿泊したバツー・フェリンギのビーチ沿いにある安宿は、ベニヤ板で隣室との仕切りがある程度の宿で隣室の西洋人カップルが行為を楽しむ音も丸聞こえだったが、そういった猥雑さもアジアで、何もかも全てが吸収だったこの初アジアは楽しくて仕方がなかった。



ランカウイ島



ビーチ



ペナンの屋台


帰路のバンコクまではペナンの対岸、マレー半島のバタワースからバンコクまでの国際列車だったが、ここで約6時間列車が遅延で待たされた。
だが、旅は「災い転じて福」となるのか、ここでこの待ち時間に出会った日本人たちと意気投合し、バンコクへ戻ってからは共に国立競技場そばにある安宿街へ居を置き、夜の遊びへ駆り出したり、国立競技場で行われたサッカー日本代表の試合へみんなで行ったり、アユタヤまで日帰り旅行を共に楽しんだりした。



国際夜行列車



バンコク、ナショナル・スタジアムでのサッカー日本代表戦



アユタヤ遺跡


23年経った今、共に楽しんだ彼らとは既に音信不通で各々が各々の人生を歩んでいると思う。
そして僕は今も旅に出ている。



一期一会、旅で出会った仲間たち


参考:
1997 -bangkok-
1997 -penang-

------------------------------------


追伸:
コロナ騒ぎが世界中を席巻し、僕の明日3月11日からの小さな旅は取りやめにした。
ぽっかり空いた今日からの5日間。古い旅写真のネガをスキャナーでパソコンへ取り込み、思い出にふけってみた。

PR
Posted by sammy - 2019.09.29,Sun

street food cart / Bangkok, THAILAND


暑かった日本の夏も暦が10月を迎える頃となると、日中の残暑に名残りを惜しみつつも終わる。
夏の終わり、9月半ばにバンコクへ行った。
初めてバンコクへ行った22年前の2月、真冬の日本から降り立った真夏のバンコクに「終わらない夏」と「楽園」を合わせ思った。
この街の人たちは暑さに抗うことなく怠惰に暮らし、それを羨ましく思う僕は日々の忙しさから解放された気分に浸れた。
同じように思い感じる人たちはこの街の安宿街カオサンにウジャウジャといて、その人たちの中には「外こもり」と言う言葉で表される半移住のライフスタイルまで生み出していた。
その多くは日本で働くだけ働いてお金を貯め、そのお金を持ってこの街へ来てカオサンの安いゲストハウスに居を置くように住みつき、ダラダラと急かされない日常を怠惰に送るというものである。
中にはその生活の最中、そういった外こもり生活をつづった本を出版するものもいた。
図書館で借りたその本を読んだ時、「いいなぁ」と焦がれる気持ちと「自分にはそこまで思い切った行動は無理だなぁ」と思う気持ちから僕のプチ逃避行は今まで続いている。



1997 Khaosan Road / Bangkok, THAILAND

9月半ばの旅の際、こうした彼らの当時と今をフィクションでつづった下川裕治著の文庫版新書「生きづらい日本人を捨てる」を旅のお供にした。今回もたった3泊だけのプチ逃避行、行き帰りのLCC機内での暇つぶしのつもりだった。
バンコクを舞台にした章ではフクちゃんやジミーといった外こもり生活者の中でも代表格のような有名人(?)が紹介されていた。
彼らが面識のない僕にとって有名人なのは、これ以前にも似たような出版物に登場したり、自らの出版物があったりするからである。
特に僕より年齢が2つ上のジミーは僕が図書館で借りて「いいなぁ」と思ったバンコク沈没生活をつづった本の著者であり、彼が自ら作ってカオサンで販売していた「ジミーちゃんバス・マップ」はBTS開業前のバンコク市内の移動にはこの上なく重宝した。



alley / Bangkok, THAILAND


今回読んだ下川さんの著書によると、フクちゃんは僕と同じ静岡県内で働く身となり、ジミーは3年前に日本で亡くなっていた。
僕がバンコクからの帰りの機内でその章を読んだ時ふと、彼らの「終わらない夏」と「この夏の終わり」が脳裏を過った。いつの時も夏は終わる。しかし…。

今もバンコクの夏は終わることなく続き、それに焦がれる僕が今もいる。


Posted by sammy - 2019.09.20,Fri

canal / Bangkok, THAILAND


思い立ったらアジアの地を踏んでいたい。
そんな願望はもう何年も僕の中に居座り続けている。降り立った先にあるムンムンとした熱気と混沌が好奇を駆り立て、束の間の逃避行気分を味わせてくれるからだ。
ポッカリ空いた4連休をそのために模索し始めたのが今から3週間前の8月末。

そして1週間前の先週末金曜日、3泊4日現地滞在実質2日間の小旅行ならぬ僅かばかりの逃避行として逃げこんだ先は22年ものお付合いとなる街、バンコク。
もう何度も書き出しているセリフ、「僕にとってのアジアは今も昔もバンコク」である。
実は行き先の模索を始める段階で4連休に充てる行き先はいくつかあった。その筆頭だったバンコクがいきなり、航空券が往復で30,840円という信じられないくらいの格安だったのである。
いわゆるLCCのタイ・ライオン・エアーで名古屋~バンコク直行便が荷物も預け、座席も指定してこの価格。22年前の初バンコクが38,000円だった記憶は今もあり以来、これよりも安い価格で行った記憶はない。と言うことは「大丈夫???」と逆に疑心暗鬼にもなってしまったが本当にこの価格で、時間帯も初日の出発が夕方5時だから前夜の仕事を終えてからゆっくりできるし、バンコク着も夜9時だから到着後のちょいと1杯にも十分。最終日の出発も朝7時半だから丸々2日間は楽しめる。
速攻で決めてしまった。



flight / Bangkok, THAILAND


滞在の2日間はともに近郊にある運河沿いの古市場へ行った。
初日はパヤタイからタイ国鉄東線に乗って45分、フアタケーの古市場。
バンコク近郊には主に週末観光用に開く古市場がいくつもあり、昔ながらの古き良き風情を味わえるスポットとして人気だが、このフアタケーの古市場は国鉄を使って行けることからタイムスリップ感は一気に増す。



on the rail / Bangkok, THAILAND



from train / Bangkok, THAILAND


立地的には国鉄フアタケー駅を出て美術大学の広い敷地の向こう側に運河があり、その一角にマーケットがある。スワンナプーム空港からも至近距離の立地だが、ここは昔のタイであり、美術大学が近いことからアートな部分も垣間見れる穴場。
ちなみにパヤタイまではBTSという高架鉄道を使ったが、パヤタイからの国鉄は往復でも40円に満たなく、国鉄車内は風物詩とも言える自発的売り子さんの姿もある。
この売り子の姿こそなかったが僕はタイのローカル鉄道に乗車するといつも、昭和40年代の東海道線を思い出す。その風情はパヤタイ駅で交差する高架鉄道とは隔世の感がある。
この国にはまだまだ昔が現存している。



lunch / Bangkok, THAILAND



cloth shop / Bangkok, THAILAND



pictures on the wall / Bangkok, THAILAND


2日目は高架鉄道の終点、チャオプラヤ川を渡ったトンブリー地区にある終点バーンワー駅からタクシーを使い、近くの運河沿いにあるクローン・バーン・ルワンへ行った。
昨日のフアタケーもそうだったが規模は小さく、認知度もツアー客が来るようなものではない。だから逆に週末でも賑わいは控えめで落ち着ける環境でもある。
クローン・バーン・ルワンは西洋人らがチャーターした貸し切りボートの運河クルーズのコースにもなっていたが、ローカルな小舟の物売り姿も目にした。タイである。



thai woman / Bangkok, THAILAND



barber / Bangkok, THAILAND



a boat / Bangkok, THAILAND


今やバンコクはとてつもなく発展を続け、バンコクという言葉からはそういった近代的な部分の連想も出来てしまう。しかし、タイという国名からはまだまだ長閑さが十分に感じられる。
バンコクの発展はタイの中でのほんの僅かな近未来であり、その恩恵も感じながら古き良きタイも楽しむ。



nana soi11 / Bangkok, THAILAND

夜は3晩とも泊まった近くにある期間限定のナイトマーケット「ART BOX」で生ビールと屋台メシ(と呼ぶには高級??)を頬張った。ここだとライブ・ミュージックも無料で楽しみながら飲食もできる。マイペンライで自由なバンコクを満喫できた。



stage / Bangkok, THAILAND


9月半ばは雨季真っ只中で雨の心配もあったが、初日の夕方にスコールで一時的に洪水のような道路脇を目の当たりに体験できたことは痛快でもあり、歓ぶ(?)地元民らの姿にはアジアの強さも感じた。

宿泊先はバンコクだと数多くの選択肢があったが、今回は「部屋でゆっくりすることはないだろう」、「移動するのに便利な場所がいい」観点から高架鉄道プノンポン駅に近い「ONE DAY HOSTEL」にした。
ドミトリーだと3泊で計2400円。1泊800円の格安ベッドは寝心地も良く、アメニティーも揃っていることから荷物も少なく済んだ。
いやはや、それにしてもこのホステルはモダンでキレイで広く、こういったバンコクにかつてのカオサンを絡めると物思いに少々物思いにふけってしまう自分に旅の歴史を感じてしまう。「らしくないなぁ」などと思いながら。



hostel / Bangkok, THAILAND


そして今、アジアから戻ってくるとすぐに発病するアジア病にかかっている。
「また、アジアへ戻りたい!」
今回もこの病はしばらく続きそうだ。