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sometime,somewhere...
Posted by - 2024.04.23,Tue
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Posted by sammy - 2017.03.13,Mon

george town / Malaysia, Penang


タイのバンコクからマレーシアのペナンまで。
人生初の東南アジア横断の旅は、当初予定の鉄道からバスへ移動手段を変え、薄暮のバンコク南バスターミナルを日没前に発ち、夜の闇を南へ南へひた走り、僕はと言えば眠れないまま早朝のタイ南部ハジャイに到着した。
心強かったのは同乗の日本人が何人かいたことで彼らも皆、僕と同じ長距離バスとミニバンを組み合わせたジョイント・チケットを買っており、正式に言えば「買わされた」そのチケットは皆、同じ行程なのに値段もマチマチだった。

20年前の記憶をたどると、この早朝に到着したハジャイの街の印象は薄汚く、およそ10m間隔でホームレスが早朝から狼狽えている印象が残っている。
帰路は列車だったが、その話を同乗の日本人にすると、「そんなことはないだろう。ハジャイは大きな街だ」と言って実際に通過する時に「ほ~ら(違うだろう?)...」と言って確かに違った印象だったが、この朝到着した時の印象はまさに、「東南アジアの危ない街」へ来てしまった印象そのものだった。

購入時に日本語でしっかりと説明を受けたわけでもなかったので僕は当初、バンコクから乗ったバスでそのまま国境を越えてペナンまで行くと思っていた。
それが乗り継ぎだとわかり、何が何だかわからないままにミニバンへと移り、真夏の太陽が照りつける中、国境を越え、バタワースからはカーフェリーで海を渡りペナンへ到着した。
徹夜の移動で疲れていたけれど気持ちの高騰感はあった。
まずは宿探しだったが、バンコクでは安くてきれいな宿へ泊れたが当時、ペナンのジョージタウンの安宿は華僑が経営する古びた安宿が主流でそれらも皆、旧正月の景気に合わせて値を吊り上げ泣く泣く、「えっ、こんなに高いの??」と思える薄汚い部屋に1泊だけしたことを憶えている。
部屋にあった灰皿にはまだ、吸殻も残っていた。そんなレベルの安宿だった。



guest house / Malaysia, Penang



rickshaw / Malaysia, Penang



street / Malaysia, Penang


この当時、「マレーシアは急速に発展途中ですよ」と思わせる象徴のような大きなタワーがペナンの中心部に既にあって、まずはそこへ行ってみると地元の女子高生グループに囲まれて、いろいろと日本のことやドラえもんについて訊かれたことを憶えている。
「こっちの人って日本に憧れているんだな」と思った印象がまさに、初東南アジアだったのかもしれない。



beach / Malaysia, Penang



guest house / Malaysia, Penang


ペナンにはビーチもあったので、翌日にはバツー・フェリンギと言うビーチにあるベニヤ板で仕切られただけの安宿へと移り、そこではひたすらノンビリと過ごし、ペナンの北にあるランカウイ島へも日帰りで出かけたりもした。
ある晩、海岸沿いの道を歩いて帰る途中、若い男女が屋台で腕時計を売っていた。
いわゆるブランド品のニセモノのみ。
高級感アリアリのそれらの値段は驚くほど安く、女の方が日本語をそこそこ話せたことから「シャチョーさんへのオミヤゲに」と勧めてきた。
ちょうど雨上がりで空気が澄んでいて、その屋台に並べられた数々の偽ブランド品も暗闇の路上に浮かび上がるかのように輝いて見えた。
今思うと、こういった時のささやかなふれあいが懐かしく、そのシーンが古い映画を思い出すかのように旅の思い出として残っている。
この時買った腕時計は今はもう止まっているし、同じような時を動かそうとも年月や経験を経てそれはもう不可能なことでしかありえない。



bay / Malaysia, Penang


旅はその時その時の生き物であり、それは重ねるごとに薄れてしまうものでもある。
20年前のピュアな気持ちに戻ろうとも戻れないが全てはそこから始まり、どんなにその気持ちが薄れようとも僕は未だ、その途上にいる。


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