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sometime,somewhere...
ja
2022-01-02T10:22:19+09:00
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光と影
running car on evening road / Havana, CUBA
2005年6月、僕はハバナの路上に、そしてニューヨークの雑踏の中にいた。
ハバナでは旧市街と新市街との境にあるベダートと言う安価なホテルに泊まり、旅の日課と言えばここからただ何のあてもなく旧市街方面へと散...
running car on evening road / Havana, CUBA
2005年6月、僕はハバナの路上に、そしてニューヨークの雑踏の中にいた。
ハバナでは旧市街と新市街との境にあるベダートと言う安価なホテルに泊まり、旅の日課と言えばここからただ何のあてもなく旧市街方面へと散策を繰り返し、そこで出会うキューバの日常、人々の姿をカメラに収めることだった。
僕はこの時、フィルムカメラのコンタックスに旅の日数とほぼ同数のリバーサルフィルムを用意していたと思う。
旅行後の現像代も気にはなっていたからバシャバシャと撮りまくるのではなく、「ここぞ!」と感性を惹かれるような場面、瞬間、出会いを狙って丁寧に撮っていたがハバナの下町、特にセントロと呼ばれる昔ながらの居住区は人々が魅せる笑顔も素朴で屈託がなく、僕はただそれらを写真に収めているだけなのにハッピーな気分になって街の散策を繰り返していた。
old couple / Havana, CUBA
heart to Cuba / Havana, CUBA
kiss / Havana, CUBA
この国にある社会主義の暗い影は僕に向けてくれる笑顔でかき消され、発展とは程遠い古びた街並みは郷愁や懐かしさと言った古き良き時代そのものを印象として与えてくれた。
この旅で僕が日本から手配した航空券は当時就航していたコンチネンタル航空のヒューストン経由カンクン行きで、キューバへはカンクンにある日本人宿カサ吉田でホテル代と航空券がパッケージになった安価なものを購入し、帰路は再びカンクンで1泊し、その翌朝コンチネンタル航空のニューヨーク便に搭乗した。
Stars and Stripes / New York, USA
Grand Central Station / New York, USA
キューバとアメリカ、ハバナとニューヨーク。
この対立する2国、代表する2都市を1度の旅で体感してみたかったからだ。
もちろん、これはキューバと国交のないアメリカ国民では成しえないことで、日本人はパスポートへの査証代わりのツーリストカードを購入することでキューバへの入国が許されていたから出来ることでもあった。
ニューヨークはマンハッタンのタイムズスクエア近く、ポート・オーソリティー・バスターミナル裏にあるサムとヒロシ、二人の日本人が経営するタイムズスクエア・ベッド&ルームを常宿としていた。
ここはいわばニューヨークのど真ん中、42ndストリートの裏路地41stストリートにあり、華やかな表通りと背中合わせにホームレスの姿もチラホラとあり、ビルの谷間から差しこむ光に照らされた路上は、どこか暗い影を落としている。
わずか1日前、ハバナの路上で感じた人々の幸せはどこか矛盾した形でここニューヨークでは僕には映ってしまう。
「どこか…、どこか…」
LOVE / Havana, CUBA
Girls / Havana, CUBA
young ladies / New York, USA
そう思う心のチラツキは、ハバナでハッピーな気持ちになった自分が、ここニューヨークではそれほどまでになれなかったからだと思う。
「光と影」という言葉が頭に思い浮かんだ。
人々の印象としては華々しいニューヨークの光と、発展に程遠い社会主義国キューバの首都ハバナに感じる影。こう思うのが妥当だろう。
でも、その現実の対比を目の当たりに見た時、僕の印象は逆だった。
business man / New York, USA
soap blower / New York, USA
Times Square / New York, USA
僕は貧しかったハバナの人たちの純粋な優しさに惹かれ、その思いは人々が目まぐるしく行き交うここニューヨークでは感じとることが出来なかったのだ。
42nd Street / New York, USA
百聞は一見に如かず。
こう思えるから、僕はその後も旅を続けている。
コロナ禍で渡航が出来ず、リモートで世界を見れても、それは現実の旅にはなれない。
旅はその場へ足を運ばない限り、心には残らない。
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あけましておめでとうございます
コロナ・ウィルスが世界中に蔓延して早や2年。
新たな変異株の広がりなどを見るにつけ、コロナ禍を終息させるには対策において貧富の差をなくさない限り、延々と続いてしまう危惧を感じます。
先進国があって途上国があることは仕方がないことでもあり、逆に僕らはその対比を旅することで学び楽しんできました。
けれど、このウィルスをなくすにはその差があってはなりません。
この2022年、そういった動きに加速がつきますように。
John's Spirit / New York, USA
Carnegie Hall / New York, USA
最後の1枚はニューヨーク、カーネギー・ホール。
そう、あのブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ・バンドが演奏した場所。
旅の最後、ここへと辿り着いたこと。感慨深かった!
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photo life
2022-01-02T10:22:19+09:00
sammy
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sammy
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MYANMAR NOW
peaceful smile / Dala, MYANMAR
旅に出れない現実が日常となって早や1年半…。
当初は「早く終息を!」とばかり願いましたが、現状を理解するにつれ、僕たちが分かり切れていない世界の今、現実を鑑みると、これは出口が見えない状態に陥っていることだけは確かです...
peaceful smile / Dala, MYANMAR
旅に出れない現実が日常となって早や1年半…。
当初は「早く終息を!」とばかり願いましたが、現状を理解するにつれ、僕たちが分かり切れていない世界の今、現実を鑑みると、これは出口が見えない状態に陥っていることだけは確かです。
僕はここ20年、主に途上国、貧困地域への旅をライフワークとしてきました。
そこにあるものは質素な生活と人の温かさです。それは僕たちが失わないまでも忘れかけてしまったもののように感じ、訪れる土地の人たちが向けてくれる屈託のない笑顔に未来を、そして今の幸せを感じるものでした。
ところが今、途上国の中には民意に反し国が市民を弾圧し、医療の提供さえ受けられない人たちがいます。
考えてみれば、それがただでさえ医療が脆弱な途上国の現実でもあり、感染が広がれば歯止めが利かなくなってしまうものだと。
個人レベルで何が出来るわけではないけれど、世界が共に生きていく形が出来るまで、旅の再開は遠い先になりそうです。
Yangon Downtown from Dala / Dala, MYANMAR
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Myanmar
2021-07-26T14:53:56+09:00
sammy
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sammy
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旅の虫とコロナ禍
小麦畑 / Hokkaido, JAPAN
北の大地を旅したい!
旅の虫がうずいたのは数日前。予期せぬ形で3連休があったからだが、予算や現状を考えて結局は実現に向かわなかった。
今から30年前、1990年代、僕は北の旅人だった。
旅のスタイルは愛車を駆ってフェリーで北海道へ渡り、自由気ままに車...
小麦畑 / Hokkaido, JAPAN
北の大地を旅したい!
旅の虫がうずいたのは数日前。予期せぬ形で3連休があったからだが、予算や現状を考えて結局は実現に向かわなかった。
今から30年前、1990年代、僕は北の旅人だった。
旅のスタイルは愛車を駆ってフェリーで北海道へ渡り、自由気ままに車を走らせ旅をする。
宿はユースホステルやとほ宿と呼ばれる旅人宿。それらへ泊まれば同じように旅をしている誰かしらと親しくなれ、旅の輪も広がった。
おそらく当時は決まり決まった日常から逃避できる唯一の手段が旅で、リアルに人とふれあえるのも旅だった。
当時の職場は男ばかりだったから、新鮮な気持ちになれるのも旅の魅力だったのかもしれない。
テレビ・ドラマ「北の国から」の影響もかなりあった。90年代は80年代に放映された連続ドラマの続編となる特別版が数年おきに放送されていた。
夏、美瑛の丘は一面の麦畑が大地を黄金色に輝かせ、富良野は満開のラベンダーが風にそよぐ。
それらを楽しめるのはちょうど今時分からの1週間くらいで、18日からの3連休がそれらと重なることから旅の虫がうずいたが、ワクチン接種券も手元に届き、あともう少しの我慢だと自戒する今、かつての夢を振り返るのは止めにした。
ラベンダー畑 / Hokkaido, JAPAN
ファーム富田 / Hokkaido, JAPAN
最後に夏の美瑛・富良野を旅したのはもう、12年前になると思う。最後に北海道へ行ったのも8年前。ずいぶんと遠ざかってしまった。
今回、旅の虫がうずいたことからいくつか検索をした。
道東、弟子屈に「ひとつぶの麦」という常宿があったが、3年前に廃業していることを知った。
コロナ前の廃業だから、きっと潮時だったのかもしれない。
僕が北の大地を楽しんだ90年代と今では明らかに時代は変わり、見知らぬ人との出会いやふれあいはスマホ片手に出来てしまう時代になってしまった。もしかしたら、旅に出る意義も薄れてしまってきたのかもしれない。
でも、何かが満たされない…。
まだまだ続くコロナ禍。
この満たされない気持ちとの葛藤は続きそうだ。
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Japan
2021-07-16T16:45:28+09:00
sammy
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sammy
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旅とコロナ禍とこれから
Don Muang Airport / Bangkok, Thailamd
いやはや、2020年がこんな年になるとは誰もが予想だにしなかった。
華々しいオリンピック・イヤーだった「2020」が、世界中を巻き込むコロナ・ウイルス・イヤーと化してしまった。
それでも、騒ぎが大きくなる前の1,2月は...
Don Muang Airport / Bangkok, Thailamd
いやはや、2020年がこんな年になるとは誰もが予想だにしなかった。
華々しいオリンピック・イヤーだった「2020」が、世界中を巻き込むコロナ・ウイルス・イヤーと化してしまった。
それでも、騒ぎが大きくなる前の1,2月はウイルスが蔓延する前の生活のまま、外国との往来も制限なく国際線も通常通り運航していたし旅にも出れた。
僕も遅い冬休みを2月半ばに5日間取っていたから旅に出た。
バンコクを経由してのインド・ガヤ。
往復ともにバンコクで1泊をして久々のインド滞在は2泊3日の弾丸旅行だったが、気持ちは十分に満たされた。
僕にとっての海外への旅は日常から逃避できるお手軽な手段で、それが短期の弾丸旅行であってもプランを立ててから出発日、旅の最中、さらには旅が終わった数日間も含め、ワクワクする気持ちそのものが旅の醍醐味みたいなものである。
それが断たれてしまった。
Chang Beer / Bangkok, Thailamd
渡航の自由は当たり前、格安で海外へ行ける時代になったが、すべてが止まってしまった。
当初、ウイルスの蔓延は数か月で収まり、旅の再開も5,6月には大丈夫だろうと踏んでいた。
それが、「まてよ...、11月くらいなら...」に心変わりし、今は今年度中は難しいんじゃないかと思っている。
仮に国際線が徐々に再開し、出入国の条件が緩和されても、海外へ渡航したというレッテルが貼られなくなるまでにはまだまだ時間を要する気がするからだ。
会社勤めの傍ら旅をする以上、世論が発するこのレッテルは厄介なものとなる。
そうなると来夏へ延期されたオリンピックの開催も危ういものだが逆に、これを機に開催されたことが機運の好転に結び付き、世界中の人々からウイルスに怯えて発する気持ちが取り払われてゆくような気もする。
ここがひとつのターニングポイントになるという考え方。
そうなると、来夏のオリンピック開催も危うい状態というのは海外渡航への道筋が見えない状態と同じになる。
Sukumbit Rd / Bangkok, Thailamd
今は世界中が鎖国状態。
旅そのものがリセットされ、誰もが旅に出れない。
2020年2月16日、バンコク、スクンビット通りの路上で何気に撮った1枚。
今はこれが旅に出て撮った最後の1枚となっている。
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my life, etc...
2020-06-24T11:42:48+09:00
sammy
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sammy
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あの頃、深夜特急の旅に出た
王宮周辺の路地
時は23年前の1997年2月。
当時、テレビ番組の企画でお笑いコンビの猿岩石がヒッチハイクでユーラシア大陸を横断し、「よし、オレもワタシも行ってやろう!」とタイのバンコクは多くの日本人旅人で賑わっていた。
その企画の題材となったのが沢木耕太郎のフィクション小説「深夜特急」。
僕...
王宮周辺の路地
時は23年前の1997年2月。
当時、テレビ番組の企画でお笑いコンビの猿岩石がヒッチハイクでユーラシア大陸を横断し、「よし、オレもワタシも行ってやろう!」とタイのバンコクは多くの日本人旅人で賑わっていた。
その企画の題材となったのが沢木耕太郎のフィクション小説「深夜特急」。
僕も当時の時流に乗っかった一人で、その前年に生まれて初めて行った海外、ニュージーランドで何もかもが噛み合わず、「もう、海外旅行は行かない!」と断言していたのに「深夜特急」に感化され、「アジアか…。昔の日本みたいなノスタルジーがあるのかなぁ?」と気が揺らぎ、気づけば38,000円のバンコク往復格安航空券を買っていた。
バンコクの古い街並み
スラム街
2月5日、同じように「何となく来ちゃった」面々とバンコク・ドンムアン空港で意気投合しバンコク市内へとタクシーをシェアする。
「地球の歩き方」と「深夜特急」は持参していたがスマホもなかった時代。ましてや、インターネットも普及前。
みんな心細く不安だったし、とにかく情報集めが不安も解消し、旅を楽しくするとばかりに飢えていた頃。
旅人はお互いの交流を求め、一人旅でも皆が共に旅をしているような時代だった。
旅の相棒、カメラもフィルムの時代。
ネガ・フィルム、モノクロ・フィルムに一眼レフとバカチョン(バカでもチョンでも撮れることからそう呼ばれていたコンパクト・カメラ。今ではパワハラ用語?)を駆使し、ワット・ポーや王宮、ワット・アルンといった観光地を巡った。
夜には日系の旅行会社パンダ・バスから買ったチケットでカリプソ・キャバレーのニューハーフ・ショーを観に行ったり、いわゆる観光をひとまず終えた頃、「深夜特急」を真似てタイのバンコクからマレーシアのペナンまで国境を越える旅に出る。
但し、旧正月と重なった不運から行きは鉄道のチケットが買えず、ファランポーン駅で声を掛けられた業者にまんまと騙され、割高のバス・チケットを買わされた。
気づいたのは同乗の日本人数名がそれぞれチケットの値段が違ったこと。業者ではなくバス・ターミナルで普通にチケットを買えば格安だったわけである。
カリプソ・キャバレー
タイに続き、これまた人生初のマレーシアではペナンからフェリーでランカウイ島へ行ったり、「2月なのに泳げる海」という遠くまで来た感覚を存分に楽しんだ。
ペナンで宿泊したバツー・フェリンギのビーチ沿いにある安宿は、ベニヤ板で隣室との仕切りがある程度の宿で隣室の西洋人カップルが行為を楽しむ音も丸聞こえだったが、そういった猥雑さもアジアで、何もかも全てが吸収だったこの初アジアは楽しくて仕方がなかった。
ランカウイ島
ビーチ
ペナンの屋台
帰路のバンコクまではペナンの対岸、マレー半島のバタワースからバンコクまでの国際列車だったが、ここで約6時間列車が遅延で待たされた。
だが、旅は「災い転じて福」となるのか、ここでこの待ち時間に出会った日本人たちと意気投合し、バンコクへ戻ってからは共に国立競技場そばにある安宿街へ居を置き、夜の遊びへ駆り出したり、国立競技場で行われたサッカー日本代表の試合へみんなで行ったり、アユタヤまで日帰り旅行を共に楽しんだりした。
国際夜行列車
バンコク、ナショナル・スタジアムでのサッカー日本代表戦
アユタヤ遺跡
23年経った今、共に楽しんだ彼らとは既に音信不通で各々が各々の人生を歩んでいると思う。
そして僕は今も旅に出ている。
一期一会、旅で出会った仲間たち
参考:
1997 -bangkok-
1997 -penang-
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追伸:
コロナ騒ぎが世界中を席巻し、僕の明日3月11日からの小さな旅は取りやめにした。
ぽっかり空いた今日からの5日間。古い旅写真のネガをスキャナーでパソコンへ取り込み、思い出にふけってみた。
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Thai
2020-03-10T21:07:57+09:00
sammy
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sammy
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A HAPPY NEW YEAR 2020
water splash / Siem Reap, CAMBODIA
water splash / Siem Reap, CAMBODIA]]>
Cambodia
2020-01-01T10:53:55+09:00
sammy
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sammy
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さまよいの地球
2000 Merzouga Desert / Merzouga, MOROCCO
旅という名目の異国への放浪を始めて間もない頃、ネット文化普及に興じて「さまよいの地球(ほし)」という名の旅サイトを自ら作ってみた。
今から考えると、個人のそういったサイトは随分と手間がかかるもので、そうであっても...
2000 Merzouga Desert / Merzouga, MOROCCO
旅という名目の異国への放浪を始めて間もない頃、ネット文化普及に興じて「さまよいの地球(ほし)」 という名の旅サイトを自ら作ってみた。
今から考えると、個人のそういったサイトは随分と手間がかかるもので、そうであっても自らが旅先で感じて撮った写真や思いを「伝えたい」とか「共有したい」気持ちが強く、そういったことが出来るような時代の到来に思いをはせて一から作ったものだった。
2000 Moraine Lake / Banff, CANADA
正直申し上げて、自分はPCの知識は全くなく、文章を書きあげる国語力に関しても公立普通高でドンジリだったレベルである。ただ作ってみたくて作ってしまい、そこから見えてしまう(ど素人の)汚点には関知せずに公開を続けていた。もう19年にもなる。
もっとも、こまめに更新やデザイン変更をしていたのは最初の10年くらいで、ここ何年かはPCの故障、買い替えなどで手直しすることも出来なくなっていたし、そうでなくても更新する気など全くなかったと思う。
ブログやSNSへとネット社会の主流も移り変わり、個人の旅サイトの役目などはとうに終わっていたからだ。
それでもネット上では今でも(ずいぶんと古い情報、出来事の記載になってしまったが)見ることは可能だったが、それもどうやら今月いっぱいとなってしまった。
理由は電話等の契約サービスの変更に伴って現在のプロバイダーを解約し、そこから契約していたサイト公開も消えてしまうからだ。
2005 Myanmar / Bagan, MYANMAR
サイト名の「さまよいの地球」は当時、桑田佳祐とミスチルの桜井がライブ・エイドのためにジョイントした曲「奇跡の地球(ほし)」からパクった抽象的なタイトルで、先が見えないようなさまよう旅を続けていた自分にはピッタリだと自画自賛していた。
今はリピートする旅がほとんどだが、当時は初めて行く国で受ける衝撃は大きく、感動が強い感受性となって受けていた。
サイトを作った2000年代初頭は情報サイトも少なく、掲示板やQ&Aなどを活用して旅情報を集めていた頃である。幾冊もの旅紀行に感化されて作った自サイトにも情報は極力、旅の手助けとして記載するように作っていた。
2005 Myanmar / Bagan, MYANMAR
2000 Djemaa el Fna / Marrakech, MOROCCO
いくつもの旅を旅行記として更新していたが、中でも一番反応が強かったのは2000年初頭に訪れたモロッコを題材とした「さまよいのモロッコ」だったと思う。
ここで紹介したワルザザートの森分家はホームステイとして人気になり、「地球の歩き方」にも掲載されるまでになった。
2006年、森分家を再訪した際には「さまよいのモロッコをプリントアウトして持ってくる人もいるんですよ」と森分さんから聞いていた。
同じく、マラケシュの章で紹介しているハッサンとはこの2006年にマラケシュの路地裏で偶然遭遇した。自分には親切な奴だったけれど、今から思えば疑問符の付く奴だったのかもしれない。もしかしたらこうしてネットで出ていたことで恩恵を受けたのかもしないし迷惑を被ったのかもしれない。ネット社会は見えないところで大きく動いている。だから怖い。
2006 Hassan Again / Marrakech, MOROCCO
ほのぼのと幸せそうにも感じたワルザザートの森分家は今は分散し、森分さんからはメールの返信も来なくなった。
カンボジアのスナダイクマエ孤児院もその後はお付合いに一区切りをつけ、卒院した当時の子どもたちとも今は会うこともない。
年月の移り変わりは様々な状況さえも変える。旅はその時、その時のものでもある。
2005 Myanmar / Bagan, MYANMAR
2003 Cambodia / Siem Reap, CAMBODIA
思えばここ20余年、旅をし続けてきた。これからも旅は続くだろう。
「さまよいの地球」で紹介されているのは、自分の中ではほんのりと甘い初恋のような旅の記録。
今月末をもって、それも終わる。
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my life, etc...
2019-10-15T18:32:16+09:00
sammy
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sammy
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終わらない夏
street food cart / Bangkok, THAILAND
暑かった日本の夏も暦が10月を迎える頃となると、日中の残暑に名残りを惜しみつつも終わる。
夏の終わり、9月半ばにバンコクへ行った。
初めてバンコクへ行った22年前の2月、真冬の日本から降り立った真夏のバンコクに「終わらな...
street food cart / Bangkok, THAILAND
暑かった日本の夏も暦が10月を迎える頃となると、日中の残暑に名残りを惜しみつつも終わる。
夏の終わり、9月半ばにバンコクへ行った。
初めてバンコクへ行った22年前の2月、真冬の日本から降り立った真夏のバンコクに「終わらない夏」と「楽園」を合わせ思った。
この街の人たちは暑さに抗うことなく怠惰に暮らし、それを羨ましく思う僕は日々の忙しさから解放された気分に浸れた。
同じように思い感じる人たちはこの街の安宿街カオサンにウジャウジャといて、その人たちの中には「外こもり」と言う言葉で表される半移住のライフスタイルまで生み出していた。
その多くは日本で働くだけ働いてお金を貯め、そのお金を持ってこの街へ来てカオサンの安いゲストハウスに居を置くように住みつき、ダラダラと急かされない日常を怠惰に送るというものである。
中にはその生活の最中、そういった外こもり生活をつづった本を出版するものもいた。
図書館で借りたその本を読んだ時、「いいなぁ」と焦がれる気持ちと「自分にはそこまで思い切った行動は無理だなぁ」と思う気持ちから僕のプチ逃避行は今まで続いている。
1997 Khaosan Road / Bangkok, THAILAND
9月半ばの旅の際、こうした彼らの当時と今をフィクションでつづった下川裕治著の文庫版新書「生きづらい日本人を捨てる」を旅のお供にした。今回もたった3泊だけのプチ逃避行、行き帰りのLCC機内での暇つぶしのつもりだった。
バンコクを舞台にした章ではフクちゃんやジミーといった外こもり生活者の中でも代表格のような有名人(?)が紹介されていた。
彼らが面識のない僕にとって有名人なのは、これ以前にも似たような出版物に登場したり、自らの出版物があったりするからである。
特に僕より年齢が2つ上のジミーは僕が図書館で借りて「いいなぁ」と思ったバンコク沈没生活をつづった本の著者であり、彼が自ら作ってカオサンで販売していた「ジミーちゃんバス・マップ」はBTS開業前のバンコク市内の移動にはこの上なく重宝した。
alley / Bangkok, THAILAND
今回読んだ下川さんの著書によると、フクちゃんは僕と同じ静岡県内で働く身となり、ジミーは3年前に日本で亡くなっていた。
僕がバンコクからの帰りの機内でその章を読んだ時ふと、彼らの「終わらない夏」と「この夏の終わり」が脳裏を過った。いつの時も夏は終わる。しかし…。
今もバンコクの夏は終わることなく続き、それに焦がれる僕が今もいる。
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Thai
2019-09-29T22:46:04+09:00
sammy
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sammy
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WEEKEND BANGKOK
canal / Bangkok, THAILAND
思い立ったらアジアの地を踏んでいたい。
そんな願望はもう何年も僕の中に居座り続けている。降り立った先にあるムンムンとした熱気と混沌が好奇を駆り立て、束の間の逃避行気分を味わせてくれるからだ。
ポッカリ空いた4連休をそのために模索し始めたのが今...
canal / Bangkok, THAILAND
思い立ったらアジアの地を踏んでいたい。
そんな願望はもう何年も僕の中に居座り続けている。降り立った先にあるムンムンとした熱気と混沌が好奇を駆り立て、束の間の逃避行気分を味わせてくれるからだ。
ポッカリ空いた4連休をそのために模索し始めたのが今から3週間前の8月末。
そして1週間前の先週末金曜日、3泊4日現地滞在実質2日間の小旅行ならぬ僅かばかりの逃避行として逃げこんだ先は22年ものお付合いとなる街、バンコク。
もう何度も書き出しているセリフ、「僕にとってのアジアは今も昔もバンコク」である。
実は行き先の模索を始める段階で4連休に充てる行き先はいくつかあった。その筆頭だったバンコクがいきなり、航空券が往復で30,840円という信じられないくらいの格安だったのである。
いわゆるLCCのタイ・ライオン・エアーで名古屋~バンコク直行便が荷物も預け、座席も指定してこの価格。22年前の初バンコクが38,000円だった記憶は今もあり以来、これよりも安い価格で行った記憶はない。と言うことは「大丈夫???」と逆に疑心暗鬼にもなってしまったが本当にこの価格で、時間帯も初日の出発が夕方5時だから前夜の仕事を終えてからゆっくりできるし、バンコク着も夜9時だから到着後のちょいと1杯にも十分。最終日の出発も朝7時半だから丸々2日間は楽しめる。
速攻で決めてしまった。
flight / Bangkok, THAILAND
滞在の2日間はともに近郊にある運河沿いの古市場へ行った。
初日はパヤタイからタイ国鉄東線に乗って45分、フアタケーの古市場。
バンコク近郊には主に週末観光用に開く古市場がいくつもあり、昔ながらの古き良き風情を味わえるスポットとして人気だが、このフアタケーの古市場は国鉄を使って行けることからタイムスリップ感は一気に増す。
on the rail / Bangkok, THAILAND
from train / Bangkok, THAILAND
立地的には国鉄フアタケー駅を出て美術大学の広い敷地の向こう側に運河があり、その一角にマーケットがある。スワンナプーム空港からも至近距離の立地だが、ここは昔のタイであり、美術大学が近いことからアートな部分も垣間見れる穴場。
ちなみにパヤタイまではBTSという高架鉄道を使ったが、パヤタイからの国鉄は往復でも40円に満たなく、国鉄車内は風物詩とも言える自発的売り子さんの姿もある。
この売り子の姿こそなかったが僕はタイのローカル鉄道に乗車するといつも、昭和40年代の東海道線を思い出す。その風情はパヤタイ駅で交差する高架鉄道とは隔世の感がある。
この国にはまだまだ昔が現存している。
lunch / Bangkok, THAILAND
cloth shop / Bangkok, THAILAND
pictures on the wall / Bangkok, THAILAND
2日目は高架鉄道の終点、チャオプラヤ川を渡ったトンブリー地区にある終点バーンワー駅からタクシーを使い、近くの運河沿いにあるクローン・バーン・ルワンへ行った。
昨日のフアタケーもそうだったが規模は小さく、認知度もツアー客が来るようなものではない。だから逆に週末でも賑わいは控えめで落ち着ける環境でもある。
クローン・バーン・ルワンは西洋人らがチャーターした貸し切りボートの運河クルーズのコースにもなっていたが、ローカルな小舟の物売り姿も目にした。タイである。
thai woman / Bangkok, THAILAND
barber / Bangkok, THAILAND
a boat / Bangkok, THAILAND
今やバンコクはとてつもなく発展を続け、バンコクという言葉からはそういった近代的な部分の連想も出来てしまう。しかし、タイという国名からはまだまだ長閑さが十分に感じられる。
バンコクの発展はタイの中でのほんの僅かな近未来であり、その恩恵も感じながら古き良きタイも楽しむ。
nana soi11 / Bangkok, THAILAND
夜は3晩とも泊まった近くにある期間限定のナイトマーケット「ART BOX」で生ビールと屋台メシ(と呼ぶには高級??)を頬張った。ここだとライブ・ミュージックも無料で楽しみながら飲食もできる。マイペンライで自由なバンコクを満喫できた。
stage / Bangkok, THAILAND
9月半ばは雨季真っ只中で雨の心配もあったが、初日の夕方にスコールで一時的に洪水のような道路脇を目の当たりに体験できたことは痛快でもあり、歓ぶ(?)地元民らの姿にはアジアの強さも感じた。
宿泊先はバンコクだと数多くの選択肢があったが、今回は「部屋でゆっくりすることはないだろう」、「移動するのに便利な場所がいい」観点から高架鉄道プノンポン駅に近い「ONE DAY HOSTEL」にした。
ドミトリーだと3泊で計2400円。1泊800円の格安ベッドは寝心地も良く、アメニティーも揃っていることから荷物も少なく済んだ。
いやはや、それにしてもこのホステルはモダンでキレイで広く、こういったバンコクにかつてのカオサンを絡めると物思いに少々物思いにふけってしまう自分に旅の歴史を感じてしまう。「らしくないなぁ」などと思いながら。
hostel / Bangkok, THAILAND
そして今、アジアから戻ってくるとすぐに発病するアジア病にかかっている。
「また、アジアへ戻りたい!」
今回もこの病はしばらく続きそうだ。
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Thai
2019-09-20T16:48:29+09:00
sammy
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sammy
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http://tabiphoto.blog.shinobi.jp/Entry/529/
blue morning havana ~夜明けのハバナ~
a man and a car / Havana, CUBA
sea side / Havana, CUBA
blue city / Havana, CUBA
baseball lover / Havana, CUBA
-13時間の時差が早寝早起きを生み、そこで目にした...
a man and a car / Havana, CUBA
sea side / Havana, CUBA
blue city / Havana, CUBA
baseball lover / Havana, CUBA
-13時間の時差が早寝早起きを生み、そこで目にした朝の蒼はハバナの古い街並みに染みこむ渋みだった。
ハバナの朝は早く、夜明け前の街に微かにざわつきが聞こえる。
漁をするものは釣竿を肩にマレコンの海岸通りへ歩を進め、早起きをした住人はと言えば異邦人に好奇の目を向ける。
「オマエのTシャツに書かれたDodgersのロゴ。オレも好きだぜ!」
「ヤシエル(プイーグ=キューバ出身の大リーガー)のファンかい?彼は今年レッズへ移ったけど活躍しているね」
キューバと言えばベースボール。
生で観ることもテレビ観戦も出来ないけれど、わずか150㎞北にある大国アメリカの文化を彼らは愛し、そこで活躍する自国の選手たちを誇らしげに思っている。その選手たちは亡命者であっても大半のキューバ人は大らかだ。
そんな話をしながら蒼い街を歩いていると徐々に昇り始めた陽が差し出し、蒼く滲んだ朝の色も消えてゆく。
わずか1時間あまりのドラマだった。
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Cuba
2019-07-14T14:29:52+09:00
sammy
NINJA BLOG
sammy