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sometime,somewhere...
Posted by - 2017.11.21,Tue
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Posted by sammy - 2015.10.25,Sun

well water and girls / Siem Reap, CAMBODIA


秋深まる日本を離れ、今週木曜から5日間の週末弾丸ツアーでアジア某国へ旅することにしました。
今年は春先に母親が体調を崩し夏に亡くなり、この先の旅そのものを諦めた時期もありましたが、さまざまな意味を含め旅を復活することが、自分自身への新たな一歩にもなるんじゃないかと模索し、ならば、ささっと行けるアジア、暑いアジアへ短い日程で行ってみようと思ったわけです。
行き先はタイでもカンボジアでもインドでもない、自身未だ未踏のアジアです。
本音で言えば、行き先に拘るよりもまずは旅に出たい!
それが暑いアジアだったら最高!だと言うこと。
しばし、アジアの風に吹かれてきます!!


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Posted by sammy - 2015.08.03,Mon

children / Giri Air, INDONESIA


今からちょうど4年前の今ごろ、「最後の楽園」と旅先で聞いたインドネシア、ロンボク島の沖にある小さな島ギリ・アイルへ行った。
その頃の僕はそれまで20年以上勤めた規模の大きな職場から隣町にある小さな職場へと異動になり、慣れない職場環境やそれまでに経験のない新たな仕事、負わされる責任の数々に悩まされ、モヤモヤとした日々が赴任3ヶ月を越えたこの7月半ばまで続いていた。

旅先で聞いたギリ・アイルの噂は6月始め、何とかいただいた短い休みを使って行ったラオスのルアンパバーンで聞いたが、このルアンパバーンでも日常のモヤモヤは晴れず、「もうこれは重症だな…」と悩み、その地で出会う日本人たちに救いを求めるかのように片っ端から人恋しさを求めて話しかけ、やがて出来た固まりの中にいた20代後半のヤヨイさんと60代で一人旅を愉しむナガクラさんの双方から「最後の楽園」があると聞いたのがギリ・アイルだった。



sea / Giri Air, INDONESIA


帰国後、本屋でガイドブックをめくってみると楽園の紹介は小さく載っており、そこには日本人が経営するコテージの紹介もあった。
「いつかは」と思った矢先に訪れたチャンスが、それ以前に飛ばされていた休暇を職場の都合で勝手に消化させるために入れられた「身に覚えの無い」7月半ば過ぎの6連休で、すかさず僕の心は「最後の楽園」へと向かっていった。

調べると。
震災直後のその当時、成田~シンガポール間はユナイテッド航空で往復4万円ちょうど。
シンガポールからギリ・アイルへの起点となるロンボク島まではインドネシアの格安航空会社ライオン航空がジャカルタ経由で往復2万5千円で運航していた。
辺ぴな場所へ行くわりには安い。
日常のモヤモヤとした日々の救いはこの「最後の楽園」へ賭けてみることにした。
と言っても当時はただ単にそんな日々から逃避したいだけだった。
現地でのほんの数日間が過ぎればまた日常へと戻らなければならない。その格差も怖かった。



green road / Giri Air, INDONESIA


1日目は日付が変わる頃にシンガポールへ到着し、2日目は午前9時頃には再び空港へと向かい、移動にほぼ1日を費やす。
経由地のジャカルタでは国際線から国内線へのターミナル移動があったが、ロンボク島行きの便は出発が遅れ、加えて機材も古く客層も楽園行きとは程遠い出稼ぎ帰りのような浅黒い人たちばかりで満席だった。
購入した航空券の安さも加担したか、「この飛行機は落ちるんじゃないか?」と墜落の予感さえ脳裏を霞めた。
ロンボク島の空港へはギリ・アイルで宿泊するキラキラ・コテージの主人タカさんが有料のお迎えに来てくれていた。
日本人の奥さんマサコさんとはメールで宿の問合せのやり取りをしていたが、僕とすれ違いで日本へ帰国されたようで、日本人経営のキラキラ・コテージは主人のタカさんを含め現地人スタッフばかりの中でのお邪魔となった。
経由便が遅れたこともあるがロンボク島から小舟に乗ってギリ・アイルへ着いた頃はすでに日も落ち、静か過ぎる夜道をチドモと呼ばれる島内唯一の交通機関である馬車に乗ってパカパカと宿へと向かった。
正直「どこが楽園?」なのか迷いこんだような気持ちに入ってゆく自分を覚えている。



a girl / Giri Air, INDONESIA


コテージはバンブー造りのバンガローでシャワーも水も海水を引っ張ったような塩水がチョロチョロと出る程度だった。
その晩、飯を食いにビーチ沿いのオープン・カフェをいくつかうろついていると、アヤコという名の日本人女性と遭遇した。
見た目は20代後半にも見えるギャルだったがすでに30を過ぎ、この島へは「バンガローでも経営しようかと思って」来たらしい。
何度も島を訪れているリピーターのようで歩いているとすれ違う島の青年たち皆が「アヤコ、アヤコ」と声をかけてきていた。
おかげで行動はすべて「噂」になるので、「特定の人と親しくすることができないのよ」と笑っていた。
アヤコと知り合ったことで到着初夜の退屈は日本語での会話で解消された。



sunrise / Giri Air, INDONESIA


3日目の朝は夜明け前に波の音で目が覚めた。
バンガローはビーチから100mくらい奥まった椰子の木林の中にあったが、昨晩は不眠が続いた日本での生活と打って変わってグッスリと眠れ、夢を見たのもここ数ヶ月では「初めて?」のような気がした。
だから、波の音で目が覚めた時「ここは楽園なのか?」と本気で錯覚を覚えたほどだった。
どうやら日常から脱却できたのかと感じたのが、この朝の目覚めでもあった。



village / Giri Air, INDONESIA


バンガローからビーチへと出ると、朝日はちょうどビーチの向こうから昇り、目の前に聳える対岸ロンボク島の名峰リンジャニのシルエットも雄大だった。
昨晩アヤコと飲んだオープン・カフェのボックス席に座りこんで日の出の時間を過ごしたが、同じように思い思いの時間を過ごす人たちを見て、自分も自由な時間に入りこめたんだと実感した。
車もバイクも無い小さな島は馬車の音だけが響き、喧騒とは無縁の「無の世界」だった。



morning glory / Giri Air, INDONESIA


島の滞在は3,4日目の実質2日間だけだったが、とりあえず移動手段としての自転車を借り、あてもなく島内を走り回っては出会う人たちの笑顔を写真に収めた。こうすることで島の人たちとふれあうキッカケが生まれ、僕の気持ちも徐々にほぐれていった。
透き通るような海も美しかったが、それよりも何よりも島民たちの笑顔が素敵だった。
それもそのはず、わずか12年ほど前までは島内に電気も無かったらしく、文明と切り離たれたかのような島は今も発電するわずかな電力が度々停電を起こし、真っ暗な夜道に慌てて懐中電灯を購入したりもした。
小さな島はそれほどに素朴で、リゾート開発されるビーチ沿いのバンガロー群を除けば欲の欠片さえも感じないのが現実だった。
それはまさしく、現代社会から逃れたかった僕にとっては替え難い好都合で、実質たった2日間の島での生活はそれまでのモヤモヤもしばし忘れさせてくれた。



a man / Giri Air, INDONESIA


最後の晩と言っても3泊目の夜だが、アヤコがイチオシのレストランがあるというので案内をしてもらい食事を共にした。
そのレストランはビーチ沿いの砂浜の上に座敷席を設け、波の音を前方にキャンドルの灯りでステーキやらビールを愉しめた。何も無い島の最高の贅沢をそこでは感じた。



thank you / Giri Air, INDONESIA


5日目は早朝8時半には小さなフェリーで島を発ち、昼前にはロンボク島の空港から再びジャカルタを経由してシンガポールまで戻るスケジュールだった。
だが、このロンボク島発のフライトがまたまた出発しない。
2時間以上待っただろうか。経由地のジャカルタでは国際線ターミナルまでのバス移動もあり、「あわや…」とハラハラドキドキだったが走って何とかギリギリに間に合った。
と言うことは、走らなければ間に合わなかったかもしれないが、本当にそのくらいギリギリの搭乗だった。

6日目の早朝にはシンガポールを発ち、午後には成田に到着し、夕暮れ前には帰宅するはずだったが、シンガポールからの飛行機がなかなか飛ばない。
一旦、すべての乗客が機内から搭乗口へと戻され、現地時間正午には機材の故障によりフライト・キャンセルがアナウンスされた。
それまで心の中に強く義務付けられていた翌朝からの仕事も、今日中の帰国も、もうどうでもいいものにするしかなく、そう思うと何もかもが「もうどうでもいい」気持ちになっていった。



sunset / Giri Air, INDONESIA


この時が境だったことを今でも強く思っている。
それまでの「何とかしなければならない」と縛り付けられていた気持ちから「どうでもいい」気持ちへと変わっていったのを。

結局のところ、いくら思い悩んでも出来ないものは出来ないし、そういったものは経験を積むことによって時間が解決してくれる。
そんなすべてを分からせてくれたのが、この「最後の楽園」だったが、なぜここが「最後の」と形容される「楽園」だったのか?
そのオチは旅の最中に気づいた。
この小さな「楽園」には警察という名の取り締まり役がいなかった。
そう、束縛されることがなかったわけである。なるほど(笑)。
そういう意味での「最後の楽園?」だったが、僕にとってもここは「最後の楽園」だった。


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今、自分の職場にも「わからない」を連発して出社拒否を繰り返す仲間がいる。
そんなこと、人生のわずかな期間のことなのにと思いながら、このをトラベル・ノート書いてみた。
2015年夏、自宅療養中の母を看病しながら。


***


7月下旬に更新する予定で書き始めていたものの、更新もままならず8月へ。
桜の季節から続いた母の闘病生活も僕の看病生活も、昨晩終わりました。
旅には出れなくても幸せを感じられる毎日でした。
感謝。





Posted by sammy - 2015.05.13,Wed

満開の花の前で / Siem Reap, CAMBODIA


ここひと月半ほど、母親の病気、入院があり、こちらの更新もサボったままでした。
幸い、母親は退院したものの自宅療養が続くのでこれからはさすがに、今までのような回数で旅を続けることは不可能だと思います。
どこの家庭でもいずれ、こういったことは起こるわけで、自分も想定の中に入っていたものの、あまりに急だったことだけが想定外で、でもこれはやはり想定しなければならなかったことだと思うと、「行けるうちに行けるところへいってやれ!」といったちょっぴり無茶振りの座右の銘みたいなものが正解だったことに安堵の感があります。

5月末、ここは皆が夏季休暇を入れる前のまとまった休暇を取りやすいチャンスだったことから、当初はアメリカ経由のコロンビア行きの空想旅行で始まり、その空想は3月末、10年振りのアメリカ経由メキシコ・カンクン発着のキューバへと一時辿り着きました。
4月始めの時点で母親の具合もそれほど悪くなかったことから、「大丈夫だろう」と踏んで一旦、航空券の購入も済ませましたが結果として、深夜の連続勤務を終えた直後の晩に出発予定の8日間の旅は今の状態では家族への負担も大きく、わずかな払い戻し額を呑んでキャンセルすることにしました。

幸い、今は退院後の母親の具合も安定しており、この様子であれば5日間程度のアジア旅であれば可能かもしれないですが、しばらくは様子見の状態です。
おそらくこれから先の自分は、旅に出る計画と言うものを立てないと思います。
とりあえずの休暇を入れておいて、親や家の様子を見ながら出かけられるようであれば直前に手配してどこかしらへ息抜きに出かける。
家族が第一にあり近くにあることは、自分自身が旅で見続けてきた理想でもあるからです。

手元には整理しきれないほどの旅先での写真が溜まっているので、こちらの更新は続けてゆくつもりです。
この場所が、どれほどの人が目にする場か把握していないですが、目にして「行きたい!」と思う人がいたら、迷うことさえなければ旅に出るべきですよ。
そうしてみんながどんどん、旅に出てもらいたいのが僕からの思いでもあります。