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sometime,somewhere...
Posted by sammy - 2020.03.10,Tue

王宮周辺の路地


時は23年前の1997年2月。
当時、テレビ番組の企画でお笑いコンビの猿岩石がヒッチハイクでユーラシア大陸を横断し、「よし、オレもワタシも行ってやろう!」とタイのバンコクは多くの日本人旅人で賑わっていた。
その企画の題材となったのが沢木耕太郎のフィクション小説「深夜特急」。
僕も当時の時流に乗っかった一人で、その前年に生まれて初めて行った海外、ニュージーランドで何もかもが噛み合わず、「もう、海外旅行は行かない!」と断言していたのに「深夜特急」に感化され、「アジアか…。昔の日本みたいなノスタルジーがあるのかなぁ?」と気が揺らぎ、気づけば38,000円のバンコク往復格安航空券を買っていた。



バンコクの古い街並み



スラム街


2月5日、同じように「何となく来ちゃった」面々とバンコク・ドンムアン空港で意気投合しバンコク市内へとタクシーをシェアする。
「地球の歩き方」と「深夜特急」は持参していたがスマホもなかった時代。ましてや、インターネットも普及前。
みんな心細く不安だったし、とにかく情報集めが不安も解消し、旅を楽しくするとばかりに飢えていた頃。
旅人はお互いの交流を求め、一人旅でも皆が共に旅をしているような時代だった。





旅の相棒、カメラもフィルムの時代。
ネガ・フィルム、モノクロ・フィルムに一眼レフとバカチョン(バカでもチョンでも撮れることからそう呼ばれていたコンパクト・カメラ。今ではパワハラ用語?)を駆使し、ワット・ポーや王宮、ワット・アルンといった観光地を巡った。
夜には日系の旅行会社パンダ・バスから買ったチケットでカリプソ・キャバレーのニューハーフ・ショーを観に行ったり、いわゆる観光をひとまず終えた頃、「深夜特急」を真似てタイのバンコクからマレーシアのペナンまで国境を越える旅に出る。
但し、旧正月と重なった不運から行きは鉄道のチケットが買えず、ファランポーン駅で声を掛けられた業者にまんまと騙され、割高のバス・チケットを買わされた。
気づいたのは同乗の日本人数名がそれぞれチケットの値段が違ったこと。業者ではなくバス・ターミナルで普通にチケットを買えば格安だったわけである。



カリプソ・キャバレー


タイに続き、これまた人生初のマレーシアではペナンからフェリーでランカウイ島へ行ったり、「2月なのに泳げる海」という遠くまで来た感覚を存分に楽しんだ。
ペナンで宿泊したバツー・フェリンギのビーチ沿いにある安宿は、ベニヤ板で隣室との仕切りがある程度の宿で隣室の西洋人カップルが行為を楽しむ音も丸聞こえだったが、そういった猥雑さもアジアで、何もかも全てが吸収だったこの初アジアは楽しくて仕方がなかった。



ランカウイ島



ビーチ



ペナンの屋台


帰路のバンコクまではペナンの対岸、マレー半島のバタワースからバンコクまでの国際列車だったが、ここで約6時間列車が遅延で待たされた。
だが、旅は「災い転じて福」となるのか、ここでこの待ち時間に出会った日本人たちと意気投合し、バンコクへ戻ってからは共に国立競技場そばにある安宿街へ居を置き、夜の遊びへ駆り出したり、国立競技場で行われたサッカー日本代表の試合へみんなで行ったり、アユタヤまで日帰り旅行を共に楽しんだりした。



国際夜行列車



バンコク、ナショナル・スタジアムでのサッカー日本代表戦



アユタヤ遺跡


23年経った今、共に楽しんだ彼らとは既に音信不通で各々が各々の人生を歩んでいると思う。
そして僕は今も旅に出ている。



一期一会、旅で出会った仲間たち


参考:
1997 -bangkok-
1997 -penang-

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追伸:
コロナ騒ぎが世界中を席巻し、僕の明日3月11日からの小さな旅は取りやめにした。
ぽっかり空いた今日からの5日間。古い旅写真のネガをスキャナーでパソコンへ取り込み、思い出にふけってみた。

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