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sometime,somewhere...
Posted by sammy - 2018.09.23,Sun

sunset time / Essaouira, MOROCCO

毎年、夏が終わりかける9月末のこの時期になると、「もうあれから何年も経つのか…」と思い返す旅がある。
夏の暑さが名残惜しむかのように残り、かと言ってその暑さは苦しめるような猛烈さがあるわけでもない。
旅をするには快適な暑さが残る「もうあれから12年前」の今頃、僕は12日間もの長い休みを取ってモロッコを旅した。2度目となるモロッコへ行こうと思ったのも、長い休みを取ろうと思ったのも急ぎ足だったような記憶がある。この翌年10月には勤め先の民営化が控えていた。

前回のモロッコはその6年前の2000年1~2月で、アフリカと言えども寒い冬の時期だった。
現地ワルザザートでは偶然にも在住の日本人森分さんと出会い、その後も親交が続いていたこともあり、旅のプランは喧騒のマラケシュから始まりアトラス山脈を越え、砂漠のワルザザートで森分さんと再会。そこでレンタカーを借り自らのペースでマアミド、ザゴラと砂漠地帯をまわり、ワルザザートでレンタカーを返した後は再びアトラス山脈を越え、旅の終着点は哀愁漂う港町エッサウィラだった。



medina / Essaouira, MOROCCO


旅に出る前夜、僕は深夜勤務だったが仕事が始まる前、訃報を聞いた。
親しかったYという先輩が50歳の若さで亡くなった。
既に借金の肩代わりに退職金を充て数年前に職場から追われていたが、そういった一面とは裏腹に後輩への面倒見がよかったから僕も慕っていた。
だからこの旅はある意味、亡くなった先輩へのレクイエムのような感慨にも浸っていた。
とりわけ、最後のエッサウィラは潮風が郷愁を誘い、感慨に浸るにはこの上ない終着点でもあった。



central sea / Essaouira, MOROCCO


ワルザザートのレンタカー屋さんの前で森分さんと別れたのがお昼頃。
ちょうど良いバスの時刻がなかったためグランタクシーを人数分払いきって出発したのが正解で、アトラス山脈越えを飛ばしに飛ばしたグランタクシーはバスの半分以下の時間でマラケシュ到着を果たし、そのまま民営バスに乗り換え向かったら夕暮れ直後には大西洋に面した港町エッサウィラに到着した。

イスラムの言葉でマグレブ、西の果て。
これはモロッコなどイスラム圏でも地理的に西の果てにある地域を指すが、ここエッサウィラはマグレブという言葉が突き刺さるような場所でもあった。
何と言っても大西洋に面した場所に旧市街がある。そこは北アフリカ特有の混沌にアラビアの神秘がスパイスされ、カモメが無数に飛び交う海岸伝いは人々が物思いにふける場所でもあった。そこはイスラム圏の終着点でもあり、僕の旅もそれに重ね合わせ、ここが最後だった。
想えばこの日の朝は砂漠のザゴラにあるキャンプ場のテントで目が覚めていた。そこから一気に砂漠の大荒野を抜け、更には山脈を抜け、この地に到達したのである。だからなのか、夜の潮風が妙に心地よかった。



seaside road / Essaouira, MOROCCO



shop / Essaouira, MOROCCO


明けた翌日は旧市街を散策し、迷宮へ入り込むかのような路地のを歩いては異国を体感し、行き尽くしたと思えば海岸沿いに出て潮風をうけた。
エッサウィラは別名芸術家の街と呼ばれるだけあって街全体がアーティスティックでもある。
フランスからの移民も多く印象としてはアラブとヨーロッパとの融合であり、ジェラバを纏った女が行き交う街はまさしくアラビアの世界だが、路地ではカフェでフランス人オーナーがおいしいコーヒーをふるまい、店の軒先で騒ぐいたずらな子どもたちにはフランス語で愛情のこもったお説教をしている。
多国籍な街だった。



carpet / Essaouira, MOROCCO



medina / Essaouira, MOROCCO



medina / Essaouira, MOROCCO


今はあいにく、このような旅は出来ないし、休みだってここまで長く取れなければ自らのエネルギーだって12年も経った今、確実に落ちている。亡くなったY先輩の年齢もいつしか追い抜いていた。

猛烈に暑かった今年の夏も終わる。


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Posted by sammy - 2018.09.10,Mon

bikes on the street / Hanoi, VIETNAM


路上をまるで波のようにバイクが走り抜けていた6月のハノイ。

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職場を30年働いたご褒美でいただいた旅券で短い旅に出たが、最中で父にアクシデントがあり途中で帰国した。
その父が7月に亡くなり、直後の慌ただしい日々が終わった後に妙な孤独と自身の体調不良(これは元々の持病の悪化でお付き合いするしかないのだけれど…)に今度は襲われている。
それでも、生きている証(大袈裟?)ということで久々の更新をしてみた。
アジアの熱気が恋しい!


Posted by sammy - 2018.03.21,Wed

children / Vang Vieng, LAOS


かつて「アジアの桃源郷」と呼ばれたラオスが、旅行者を開放したのは1996年頃だったと記憶している。
僕が海外放浪を始めたのもその頃。ラオスへは冒頭のキャッチフレーズに興味を抱き、2001年11月に初めて渡航した。

当時は成田~バンコク間を週2便エア・インディアが格安で就航しており、時間も成田正午発バンコク夕方着と利用しやすかったのでバンコク・ドンムアン空港に夕方到着して、そのまま空港横の鉄道駅から夜行寝台に乗り、翌朝には国境の町ノンカイに着いてそこからは人の流れに乗っかってしまえばメコン川に架かる友好橋を越えて陸路でラオスの首都ビエンチャンに到着だった。



Vientiane town / Vientiane, LAOS


この当時のラオスは言うなれば「夜明け前」。
実際にはすでに旅行者を開放していたから夜が明けてはいたが、印象としてはまさしく「夜明け前」だった。
市の中心部と言っても、「ここが中心部なのか?」といったエリアもあちらこちらの道路が未舗装だったし、それはパトゥーサイと呼ばれるパリの凱旋門に真似たモニュメントの周辺もそうであった。
滞在中もやることはこれといってない。逆にそのことが魅力で、そういった旅のことを「沈没」と言って流行りでもあったからこの「アジアの桃源郷」へ来たし、同じような旅人たちが世界中からわんさか来ていて、夕暮れ時ともなるとその多くの足がメコン川へ向き、そこですることと言えば美味いと評判のラオス国産ビール、ビアラオを友に、これまた極上の夕日を鑑賞することだった。



sunset time / Vientiane, LAOS


素朴さが新鮮で旅人が集まり、何もしないことを楽しむ。
理解し難い旅のスタイルが人気で、2001年当時の世界から見ればまさに「桃源郷」に映るラオスの旅は印象深く、それはバンビエンという周囲の景色が中国の山水画にも似た山郷の村をバックパッカー向けのリゾートと化した場所でもそうで、現世から離れたような場所で沈没する快感を僕は覚えた。



backpackers street / Vang Vieng, LAOS



eyes / Vang Vieng, LAOS



Nam Song river / Vang Vieng, LAOS


今のラオスは地理上と同じく、タイの延長のように町もそれなりに町らしく整っていると思う。それはそれでいいことだけど、「アジアの桃源郷」と呼ばれた時代はもう戻ってこないだろう。
旅には「行き時」のタイミングがあると思う。
2001年のラオスは今なお、思い出として残っている。



sunset / Vang Vieng, LAOS