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sometime,somewhere...
Posted by - 2024.04.27,Sat
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Posted by sammy - 2022.01.02,Sun

running car on evening road / Havana, CUBA


2005年6月、僕はハバナの路上に、そしてニューヨークの雑踏の中にいた。
ハバナでは旧市街と新市街との境にあるベダートと言う安価なホテルに泊まり、旅の日課と言えばここからただ何のあてもなく旧市街方面へと散策を繰り返し、そこで出会うキューバの日常、人々の姿をカメラに収めることだった。
僕はこの時、フィルムカメラのコンタックスに旅の日数とほぼ同数のリバーサルフィルムを用意していたと思う。
旅行後の現像代も気にはなっていたからバシャバシャと撮りまくるのではなく、「ここぞ!」と感性を惹かれるような場面、瞬間、出会いを狙って丁寧に撮っていたがハバナの下町、特にセントロと呼ばれる昔ながらの居住区は人々が魅せる笑顔も素朴で屈託がなく、僕はただそれらを写真に収めているだけなのにハッピーな気分になって街の散策を繰り返していた。



old couple / Havana, CUBA



heart to Cuba / Havana, CUBA



kiss / Havana, CUBA


この国にある社会主義の暗い影は僕に向けてくれる笑顔でかき消され、発展とは程遠い古びた街並みは郷愁や懐かしさと言った古き良き時代そのものを印象として与えてくれた。
この旅で僕が日本から手配した航空券は当時就航していたコンチネンタル航空のヒューストン経由カンクン行きで、キューバへはカンクンにある日本人宿カサ吉田でホテル代と航空券がパッケージになった安価なものを購入し、帰路は再びカンクンで1泊し、その翌朝コンチネンタル航空のニューヨーク便に搭乗した。



Stars and Stripes / New York, USA



Grand Central Station / New York, USA


キューバとアメリカ、ハバナとニューヨーク。
この対立する2国、代表する2都市を1度の旅で体感してみたかったからだ。
もちろん、これはキューバと国交のないアメリカ国民では成しえないことで、日本人はパスポートへの査証代わりのツーリストカードを購入することでキューバへの入国が許されていたから出来ることでもあった。

ニューヨークはマンハッタンのタイムズスクエア近く、ポート・オーソリティー・バスターミナル裏にあるサムとヒロシ、二人の日本人が経営するタイムズスクエア・ベッド&ルームを常宿としていた。
ここはいわばニューヨークのど真ん中、42ndストリートの裏路地41stストリートにあり、華やかな表通りと背中合わせにホームレスの姿もチラホラとあり、ビルの谷間から差しこむ光に照らされた路上は、どこか暗い影を落としている。
わずか1日前、ハバナの路上で感じた人々の幸せはどこか矛盾した形でここニューヨークでは僕には映ってしまう。

「どこか…、どこか…」



LOVE / Havana, CUBA



Girls / Havana, CUBA



young ladies / New York, USA


そう思う心のチラツキは、ハバナでハッピーな気持ちになった自分が、ここニューヨークではそれほどまでになれなかったからだと思う。
「光と影」という言葉が頭に思い浮かんだ。
人々の印象としては華々しいニューヨークの光と、発展に程遠い社会主義国キューバの首都ハバナに感じる影。こう思うのが妥当だろう。
でも、その現実の対比を目の当たりに見た時、僕の印象は逆だった。



business man / New York, USA



soap blower / New York, USA



Times Square / New York, USA


僕は貧しかったハバナの人たちの純粋な優しさに惹かれ、その思いは人々が目まぐるしく行き交うここニューヨークでは感じとることが出来なかったのだ。



42nd Street / New York, USA


百聞は一見に如かず。
こう思えるから、僕はその後も旅を続けている。
コロナ禍で渡航が出来ず、リモートで世界を見れても、それは現実の旅にはなれない。
旅はその場へ足を運ばない限り、心には残らない。



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あけましておめでとうございます

コロナ・ウィルスが世界中に蔓延して早や2年。
新たな変異株の広がりなどを見るにつけ、コロナ禍を終息させるには対策において貧富の差をなくさない限り、延々と続いてしまう危惧を感じます。
先進国があって途上国があることは仕方がないことでもあり、逆に僕らはその対比を旅することで学び楽しんできました。
けれど、このウィルスをなくすにはその差があってはなりません。
この2022年、そういった動きに加速がつきますように。



John's Spirit / New York, USA



Carnegie Hall / New York, USA


最後の1枚はニューヨーク、カーネギー・ホール。
そう、あのブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ・バンドが演奏した場所。
旅の最後、ここへと辿り着いたこと。感慨深かった!

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Posted by sammy - 2021.07.26,Mon

peaceful smile / Dala, MYANMAR


旅に出れない現実が日常となって早や1年半…。
当初は「早く終息を!」とばかり願いましたが、現状を理解するにつれ、僕たちが分かり切れていない世界の今、現実を鑑みると、これは出口が見えない状態に陥っていることだけは確かです。
僕はここ20年、主に途上国、貧困地域への旅をライフワークとしてきました。
そこにあるものは質素な生活と人の温かさです。それは僕たちが失わないまでも忘れかけてしまったもののように感じ、訪れる土地の人たちが向けてくれる屈託のない笑顔に未来を、そして今の幸せを感じるものでした。
ところが今、途上国の中には民意に反し国が市民を弾圧し、医療の提供さえ受けられない人たちがいます。
考えてみれば、それがただでさえ医療が脆弱な途上国の現実でもあり、感染が広がれば歯止めが利かなくなってしまうものだと。
個人レベルで何が出来るわけではないけれど、世界が共に生きていく形が出来るまで、旅の再開は遠い先になりそうです。



Yangon Downtown from Dala / Dala, MYANMAR


Posted by sammy - 2021.07.16,Fri

小麦畑 / Hokkaido, JAPAN


北の大地を旅したい!
旅の虫がうずいたのは数日前。予期せぬ形で3連休があったからだが、予算や現状を考えて結局は実現に向かわなかった。
今から30年前、1990年代、僕は北の旅人だった。
旅のスタイルは愛車を駆ってフェリーで北海道へ渡り、自由気ままに車を走らせ旅をする。
宿はユースホステルやとほ宿と呼ばれる旅人宿。それらへ泊まれば同じように旅をしている誰かしらと親しくなれ、旅の輪も広がった。
おそらく当時は決まり決まった日常から逃避できる唯一の手段が旅で、リアルに人とふれあえるのも旅だった。
当時の職場は男ばかりだったから、新鮮な気持ちになれるのも旅の魅力だったのかもしれない。
テレビ・ドラマ「北の国から」の影響もかなりあった。90年代は80年代に放映された連続ドラマの続編となる特別版が数年おきに放送されていた。
夏、美瑛の丘は一面の麦畑が大地を黄金色に輝かせ、富良野は満開のラベンダーが風にそよぐ。
それらを楽しめるのはちょうど今時分からの1週間くらいで、18日からの3連休がそれらと重なることから旅の虫がうずいたが、ワクチン接種券も手元に届き、あともう少しの我慢だと自戒する今、かつての夢を振り返るのは止めにした。



ラベンダー畑 / Hokkaido, JAPAN


ファーム富田 / Hokkaido, JAPAN


最後に夏の美瑛・富良野を旅したのはもう、12年前になると思う。最後に北海道へ行ったのも8年前。ずいぶんと遠ざかってしまった。
今回、旅の虫がうずいたことからいくつか検索をした。
道東、弟子屈に「ひとつぶの麦」という常宿があったが、3年前に廃業していることを知った。
コロナ前の廃業だから、きっと潮時だったのかもしれない。
僕が北の大地を楽しんだ90年代と今では明らかに時代は変わり、見知らぬ人との出会いやふれあいはスマホ片手に出来てしまう時代になってしまった。もしかしたら、旅に出る意義も薄れてしまってきたのかもしれない。
でも、何かが満たされない…。
まだまだ続くコロナ禍。
この満たされない気持ちとの葛藤は続きそうだ。