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sometime,somewhere...
Posted by sammy - 2017.03.13,Mon

george town / Malaysia, Penang


タイのバンコクからマレーシアのペナンまで。
人生初の東南アジア横断の旅は、当初予定の鉄道からバスへ移動手段を変え、薄暮のバンコク南バスターミナルを日没前に発ち、夜の闇を南へ南へひた走り、僕はと言えば眠れないまま早朝のタイ南部ハジャイに到着した。
心強かったのは同乗の日本人が何人かいたことで彼らも皆、僕と同じ長距離バスとミニバンを組み合わせたジョイント・チケットを買っており、正式に言えば「買わされた」そのチケットは皆、同じ行程なのに値段もマチマチだった。

20年前の記憶をたどると、この早朝に到着したハジャイの街の印象は薄汚く、およそ10m間隔でホームレスが早朝から狼狽えている印象が残っている。
帰路は列車だったが、その話を同乗の日本人にすると、「そんなことはないだろう。ハジャイは大きな街だ」と言って実際に通過する時に「ほ~ら(違うだろう?)...」と言って確かに違った印象だったが、この朝到着した時の印象はまさに、「東南アジアの危ない街」へ来てしまった印象そのものだった。

購入時に日本語でしっかりと説明を受けたわけでもなかったので僕は当初、バンコクから乗ったバスでそのまま国境を越えてペナンまで行くと思っていた。
それが乗り継ぎだとわかり、何が何だかわからないままにミニバンへと移り、真夏の太陽が照りつける中、国境を越え、バタワースからはカーフェリーで海を渡りペナンへ到着した。
徹夜の移動で疲れていたけれど気持ちの高騰感はあった。
まずは宿探しだったが、バンコクでは安くてきれいな宿へ泊れたが当時、ペナンのジョージタウンの安宿は華僑が経営する古びた安宿が主流でそれらも皆、旧正月の景気に合わせて値を吊り上げ泣く泣く、「えっ、こんなに高いの??」と思える薄汚い部屋に1泊だけしたことを憶えている。
部屋にあった灰皿にはまだ、吸殻も残っていた。そんなレベルの安宿だった。



guest house / Malaysia, Penang



rickshaw / Malaysia, Penang



street / Malaysia, Penang


この当時、「マレーシアは急速に発展途中ですよ」と思わせる象徴のような大きなタワーがペナンの中心部に既にあって、まずはそこへ行ってみると地元の女子高生グループに囲まれて、いろいろと日本のことやドラえもんについて訊かれたことを憶えている。
「こっちの人って日本に憧れているんだな」と思った印象がまさに、初東南アジアだったのかもしれない。



beach / Malaysia, Penang



guest house / Malaysia, Penang


ペナンにはビーチもあったので、翌日にはバツー・フェリンギと言うビーチにあるベニヤ板で仕切られただけの安宿へと移り、そこではひたすらノンビリと過ごし、ペナンの北にあるランカウイ島へも日帰りで出かけたりもした。
ある晩、海岸沿いの道を歩いて帰る途中、若い男女が屋台で腕時計を売っていた。
いわゆるブランド品のニセモノのみ。
高級感アリアリのそれらの値段は驚くほど安く、女の方が日本語をそこそこ話せたことから「シャチョーさんへのオミヤゲに」と勧めてきた。
ちょうど雨上がりで空気が澄んでいて、その屋台に並べられた数々の偽ブランド品も暗闇の路上に浮かび上がるかのように輝いて見えた。
今思うと、こういった時のささやかなふれあいが懐かしく、そのシーンが古い映画を思い出すかのように旅の思い出として残っている。
この時買った腕時計は今はもう止まっているし、同じような時を動かそうとも年月や経験を経てそれはもう不可能なことでしかありえない。



bay / Malaysia, Penang


旅はその時その時の生き物であり、それは重ねるごとに薄れてしまうものでもある。
20年前のピュアな気持ちに戻ろうとも戻れないが全てはそこから始まり、どんなにその気持ちが薄れようとも僕は未だ、その途上にいる。


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Posted by sammy - 2017.02.26,Sun

child / Bangkok, THAI


猿岩石がユーラシア大陸をヒッチハイクで横断し、その原案となった小説「深夜特急」に感化されるかのように旅に出たのが20年前の2月、1997年だった。

バックパックを担いで、当時2番目に安かった成田正午発のエア・インディア便に乗ってタイ・バンコクのドンムアン空港に夕方到着し、同じように初めてタイへ来たという心細かった面々とタクシーをシェアしてカオサン・ロードへ向かい、その面々と「ついでだから」と降りた場所にあった安食堂で夕飯を共にし、「じゃあ!」と別れて向かった先はカオサンから少し離れた場所にあったユースホステルだった。

その2日後くらいにはユースホステルを出てカオサンで宿探しをし、マルコポーロという名の安宿に泊まり、そこが1泊250バーツくらいだったが窓も無い収容所みたいな部屋だったことから、たまたま部屋を見せてもらった、当時カオサンにしては珍しいプチ・リッチな安宿D&Dへ翌日には移った。



khaosan road / Bangkok, THAI



sleeping owner / Bangkok, THAI


この前年、初めての海外旅行でニュージーランドへ行ったが、「僕には(海外旅行は)向かないな」という気持ちがこの時は強く残った。
面白い出会いも無かったし、刺激としては少なかったからかもしれない。
それが、この旅では違った。

まず、会う奴会う奴みんな面白いのである。
それはきっと、初めてこうしてタイのような途上国へやって来て、物価は安いけれど値段をふっかけてくるタイ人との戦いが面白かったり、彼ら彼女らが妙に人懐っこく物事を気にしない大らかな「マイペンライ」な人たちであったこと。そして、とにかく暑かったからタイ人たちも暑さに逆らうことなくダラダラと屈していたし、旅人も皆それらに倣っていたからかもしれない。



run / Bangkok, THAI



a boy in the river / Bangkok, THAI


とにかく、初めてこの地へやって来た僕は飛びこんでくるすべての刺激が楽しく、それは日を追うごとに増していった。

例えば、当時は街中を走るスカイトレインもなかったから移動はバス、タクシー、トゥクトゥクだったがバスを使った場合、タイ語を話せないからどこで降りればいいのか尋ねるには英語を使うしかない。これが、学生とか身なりのいい人たちには比較的通じることがわかった。
ある晩、オカマのショーを見に行き、深夜のバス停でカオサン方面行きのバスを待ったがいつまでも来ない。
同じバス停で待つ面々を見渡すと身なりのいい感じの女性が一人いた。
彼女に尋ねると僕のガイドブックを広げ、バス停が間違っていないかなど調べてくれた。そこから話が弾み、日本人のボーイフレンドがいると言ってバッグから写真を取り出して見せてくれたが、一緒に持っていた写真がオカマのショーに使うポートレート写真だったことから「アレ???」となった。
彼女は彼だったわけで、今ならばそんなことにすぐに気づくかもしれないが、初めて行ったタイでは見事に気づかなかった。

出会う旅人皆が同じような体験談やら何かしらのエピソードを旅行中に作り、そんな話を日本人が出会うような場所、食堂だったり宿のロビーだったり、旅行会社の小さなオフィスだったり道中だったり、みんなでワイワイ話すことも楽しかった。



shop / Bangkok, THAI


seller / Bangkok, THAI



thai people / Bangkok, THAI


こんな日々が続くと、いっそのことこのままバンコクに沈没してしまいたかったが「深夜特急」の旅は移動でもある。
僕は陸路で国境を越えるというのがやってみたく、列車で国境を越えてマレーシアのペナン島へ行くことに決めていた。
ところがその移動の前日、バンコクのファランポーン駅へ国際列車の寝台切符を買いに行ったら売り切れだと言う。日程が旧正月と重なっていたからだ。
仕方なく肩を落としていると駅構内ですぐに声をかけられた。
「切符ならあるから、オレにまかせろ」と言ってその男に駅近くの旅行会社へ案内された。
男は往復分の切符を用意出来るといったが、行きはバスしか切符がなく、帰りはペナンからバンコクまで列車で用意できるといった。
「これだったらいいだろう。ノープロブレムだ」と言ってゴージャスなバスの写真、日本人の体験談が書かれた手紙などを見せてくれた。
「ま、いいか」と納得して明日夕方5時、バスターミナルまでの迎えがここから出発することとなった。

この後わかったことは、この旅行会社はこうして駅で切符を買えなかった人を見つけては声をかけ、定価よりもかなり高い値段で長距離バスや列車の切符を売りつける業者だったということである。
それはこの先の旅の道中、同じように他で騙されて乗車していた日本人から確かめた。

そんなことも含め、この初めてのアジアは楽しかった。



Posted by sammy - 2017.02.24,Fri

Statue of Liberty from East River / New York, USA


先日アジア復帰は果たしたけれど、次なる旅は7年ご無沙汰のアメリカ行きをなんとか実現したいと思っている。
その最後に行った7年前以降は10年以上、ほぼ毎年のように訪米してはMLB観戦に夢中だった。
その頃はアジアもアメリカも同じくらいの値で航空券が安く、マイレージ加算の大きい北米往復は2回も行けばアジア往復航空券がオマケに付いてくるようなものだった。
実にいい時代だったわけで、今は航空券もその頃の倍くらいするし、マイレージを溜めた特典もその頃の倍以上溜まらないとオマケは付いてこない。
そんなこんなで遠ざかったのかもしれないし、ただ単に他の行き場所に魅力を感じていたことも確か。縁がなかったのかもしれない。



Seattle in the Rain / Seattle, USA


全盛期は過ぎたけれど、どうせアメリカへ行くのならばイチロー選手の試合を絡めて行きたい。
スケジュールを見ると5月のGW後半、ニューヨークでそのチャンスはある。
それまでの逃していた7年間の鬱憤をはらすかのように、思い立ったら様々な準備を始めていた。
今年こそはと願いつつ...。