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sometime,somewhere...
Posted by - 2024.05.01,Wed
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Posted by sammy - 2019.10.15,Tue

2000 Merzouga Desert / Merzouga, MOROCCO


旅という名目の異国への放浪を始めて間もない頃、ネット文化普及に興じて「さまよいの地球(ほし)」という名の旅サイトを自ら作ってみた。
今から考えると、個人のそういったサイトは随分と手間がかかるもので、そうであっても自らが旅先で感じて撮った写真や思いを「伝えたい」とか「共有したい」気持ちが強く、そういったことが出来るような時代の到来に思いをはせて一から作ったものだった。



2000 Moraine Lake / Banff, CANADA


正直申し上げて、自分はPCの知識は全くなく、文章を書きあげる国語力に関しても公立普通高でドンジリだったレベルである。ただ作ってみたくて作ってしまい、そこから見えてしまう(ど素人の)汚点には関知せずに公開を続けていた。もう19年にもなる。
もっとも、こまめに更新やデザイン変更をしていたのは最初の10年くらいで、ここ何年かはPCの故障、買い替えなどで手直しすることも出来なくなっていたし、そうでなくても更新する気など全くなかったと思う。
ブログやSNSへとネット社会の主流も移り変わり、個人の旅サイトの役目などはとうに終わっていたからだ。
それでもネット上では今でも(ずいぶんと古い情報、出来事の記載になってしまったが)見ることは可能だったが、それもどうやら今月いっぱいとなってしまった。
理由は電話等の契約サービスの変更に伴って現在のプロバイダーを解約し、そこから契約していたサイト公開も消えてしまうからだ。



2005 Myanmar / Bagan, MYANMAR


サイト名の「さまよいの地球」は当時、桑田佳祐とミスチルの桜井がライブ・エイドのためにジョイントした曲「奇跡の地球(ほし)」からパクった抽象的なタイトルで、先が見えないようなさまよう旅を続けていた自分にはピッタリだと自画自賛していた。
今はリピートする旅がほとんどだが、当時は初めて行く国で受ける衝撃は大きく、感動が強い感受性となって受けていた。
サイトを作った2000年代初頭は情報サイトも少なく、掲示板やQ&Aなどを活用して旅情報を集めていた頃である。幾冊もの旅紀行に感化されて作った自サイトにも情報は極力、旅の手助けとして記載するように作っていた。



2005 Myanmar / Bagan, MYANMAR



2000 Djemaa el Fna / Marrakech, MOROCCO


いくつもの旅を旅行記として更新していたが、中でも一番反応が強かったのは2000年初頭に訪れたモロッコを題材とした「さまよいのモロッコ」だったと思う。
ここで紹介したワルザザートの森分家はホームステイとして人気になり、「地球の歩き方」にも掲載されるまでになった。
2006年、森分家を再訪した際には「さまよいのモロッコをプリントアウトして持ってくる人もいるんですよ」と森分さんから聞いていた。
同じく、マラケシュの章で紹介しているハッサンとはこの2006年にマラケシュの路地裏で偶然遭遇した。自分には親切な奴だったけれど、今から思えば疑問符の付く奴だったのかもしれない。もしかしたらこうしてネットで出ていたことで恩恵を受けたのかもしないし迷惑を被ったのかもしれない。ネット社会は見えないところで大きく動いている。だから怖い。



2006 Hassan Again / Marrakech, MOROCCO


ほのぼのと幸せそうにも感じたワルザザートの森分家は今は分散し、森分さんからはメールの返信も来なくなった。
カンボジアのスナダイクマエ孤児院もその後はお付合いに一区切りをつけ、卒院した当時の子どもたちとも今は会うこともない。
年月の移り変わりは様々な状況さえも変える。旅はその時、その時のものでもある。



2005 Myanmar / Bagan, MYANMAR



2003 Cambodia / Siem Reap, CAMBODIA


思えばここ20余年、旅をし続けてきた。これからも旅は続くだろう。
「さまよいの地球」で紹介されているのは、自分の中ではほんのりと甘い初恋のような旅の記録。
今月末をもって、それも終わる。


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Posted by sammy - 2019.09.29,Sun

street food cart / Bangkok, THAILAND


暑かった日本の夏も暦が10月を迎える頃となると、日中の残暑に名残りを惜しみつつも終わる。
夏の終わり、9月半ばにバンコクへ行った。
初めてバンコクへ行った22年前の2月、真冬の日本から降り立った真夏のバンコクに「終わらない夏」と「楽園」を合わせ思った。
この街の人たちは暑さに抗うことなく怠惰に暮らし、それを羨ましく思う僕は日々の忙しさから解放された気分に浸れた。
同じように思い感じる人たちはこの街の安宿街カオサンにウジャウジャといて、その人たちの中には「外こもり」と言う言葉で表される半移住のライフスタイルまで生み出していた。
その多くは日本で働くだけ働いてお金を貯め、そのお金を持ってこの街へ来てカオサンの安いゲストハウスに居を置くように住みつき、ダラダラと急かされない日常を怠惰に送るというものである。
中にはその生活の最中、そういった外こもり生活をつづった本を出版するものもいた。
図書館で借りたその本を読んだ時、「いいなぁ」と焦がれる気持ちと「自分にはそこまで思い切った行動は無理だなぁ」と思う気持ちから僕のプチ逃避行は今まで続いている。



1997 Khaosan Road / Bangkok, THAILAND

9月半ばの旅の際、こうした彼らの当時と今をフィクションでつづった下川裕治著の文庫版新書「生きづらい日本人を捨てる」を旅のお供にした。今回もたった3泊だけのプチ逃避行、行き帰りのLCC機内での暇つぶしのつもりだった。
バンコクを舞台にした章ではフクちゃんやジミーといった外こもり生活者の中でも代表格のような有名人(?)が紹介されていた。
彼らが面識のない僕にとって有名人なのは、これ以前にも似たような出版物に登場したり、自らの出版物があったりするからである。
特に僕より年齢が2つ上のジミーは僕が図書館で借りて「いいなぁ」と思ったバンコク沈没生活をつづった本の著者であり、彼が自ら作ってカオサンで販売していた「ジミーちゃんバス・マップ」はBTS開業前のバンコク市内の移動にはこの上なく重宝した。



alley / Bangkok, THAILAND


今回読んだ下川さんの著書によると、フクちゃんは僕と同じ静岡県内で働く身となり、ジミーは3年前に日本で亡くなっていた。
僕がバンコクからの帰りの機内でその章を読んだ時ふと、彼らの「終わらない夏」と「この夏の終わり」が脳裏を過った。いつの時も夏は終わる。しかし…。

今もバンコクの夏は終わることなく続き、それに焦がれる僕が今もいる。


Posted by sammy - 2019.09.20,Fri

canal / Bangkok, THAILAND


思い立ったらアジアの地を踏んでいたい。
そんな願望はもう何年も僕の中に居座り続けている。降り立った先にあるムンムンとした熱気と混沌が好奇を駆り立て、束の間の逃避行気分を味わせてくれるからだ。
ポッカリ空いた4連休をそのために模索し始めたのが今から3週間前の8月末。

そして1週間前の先週末金曜日、3泊4日現地滞在実質2日間の小旅行ならぬ僅かばかりの逃避行として逃げこんだ先は22年ものお付合いとなる街、バンコク。
もう何度も書き出しているセリフ、「僕にとってのアジアは今も昔もバンコク」である。
実は行き先の模索を始める段階で4連休に充てる行き先はいくつかあった。その筆頭だったバンコクがいきなり、航空券が往復で30,840円という信じられないくらいの格安だったのである。
いわゆるLCCのタイ・ライオン・エアーで名古屋~バンコク直行便が荷物も預け、座席も指定してこの価格。22年前の初バンコクが38,000円だった記憶は今もあり以来、これよりも安い価格で行った記憶はない。と言うことは「大丈夫???」と逆に疑心暗鬼にもなってしまったが本当にこの価格で、時間帯も初日の出発が夕方5時だから前夜の仕事を終えてからゆっくりできるし、バンコク着も夜9時だから到着後のちょいと1杯にも十分。最終日の出発も朝7時半だから丸々2日間は楽しめる。
速攻で決めてしまった。



flight / Bangkok, THAILAND


滞在の2日間はともに近郊にある運河沿いの古市場へ行った。
初日はパヤタイからタイ国鉄東線に乗って45分、フアタケーの古市場。
バンコク近郊には主に週末観光用に開く古市場がいくつもあり、昔ながらの古き良き風情を味わえるスポットとして人気だが、このフアタケーの古市場は国鉄を使って行けることからタイムスリップ感は一気に増す。



on the rail / Bangkok, THAILAND



from train / Bangkok, THAILAND


立地的には国鉄フアタケー駅を出て美術大学の広い敷地の向こう側に運河があり、その一角にマーケットがある。スワンナプーム空港からも至近距離の立地だが、ここは昔のタイであり、美術大学が近いことからアートな部分も垣間見れる穴場。
ちなみにパヤタイまではBTSという高架鉄道を使ったが、パヤタイからの国鉄は往復でも40円に満たなく、国鉄車内は風物詩とも言える自発的売り子さんの姿もある。
この売り子の姿こそなかったが僕はタイのローカル鉄道に乗車するといつも、昭和40年代の東海道線を思い出す。その風情はパヤタイ駅で交差する高架鉄道とは隔世の感がある。
この国にはまだまだ昔が現存している。



lunch / Bangkok, THAILAND



cloth shop / Bangkok, THAILAND



pictures on the wall / Bangkok, THAILAND


2日目は高架鉄道の終点、チャオプラヤ川を渡ったトンブリー地区にある終点バーンワー駅からタクシーを使い、近くの運河沿いにあるクローン・バーン・ルワンへ行った。
昨日のフアタケーもそうだったが規模は小さく、認知度もツアー客が来るようなものではない。だから逆に週末でも賑わいは控えめで落ち着ける環境でもある。
クローン・バーン・ルワンは西洋人らがチャーターした貸し切りボートの運河クルーズのコースにもなっていたが、ローカルな小舟の物売り姿も目にした。タイである。



thai woman / Bangkok, THAILAND



barber / Bangkok, THAILAND



a boat / Bangkok, THAILAND


今やバンコクはとてつもなく発展を続け、バンコクという言葉からはそういった近代的な部分の連想も出来てしまう。しかし、タイという国名からはまだまだ長閑さが十分に感じられる。
バンコクの発展はタイの中でのほんの僅かな近未来であり、その恩恵も感じながら古き良きタイも楽しむ。



nana soi11 / Bangkok, THAILAND

夜は3晩とも泊まった近くにある期間限定のナイトマーケット「ART BOX」で生ビールと屋台メシ(と呼ぶには高級??)を頬張った。ここだとライブ・ミュージックも無料で楽しみながら飲食もできる。マイペンライで自由なバンコクを満喫できた。



stage / Bangkok, THAILAND


9月半ばは雨季真っ只中で雨の心配もあったが、初日の夕方にスコールで一時的に洪水のような道路脇を目の当たりに体験できたことは痛快でもあり、歓ぶ(?)地元民らの姿にはアジアの強さも感じた。

宿泊先はバンコクだと数多くの選択肢があったが、今回は「部屋でゆっくりすることはないだろう」、「移動するのに便利な場所がいい」観点から高架鉄道プノンポン駅に近い「ONE DAY HOSTEL」にした。
ドミトリーだと3泊で計2400円。1泊800円の格安ベッドは寝心地も良く、アメニティーも揃っていることから荷物も少なく済んだ。
いやはや、それにしてもこのホステルはモダンでキレイで広く、こういったバンコクにかつてのカオサンを絡めると物思いに少々物思いにふけってしまう自分に旅の歴史を感じてしまう。「らしくないなぁ」などと思いながら。



hostel / Bangkok, THAILAND


そして今、アジアから戻ってくるとすぐに発病するアジア病にかかっている。
「また、アジアへ戻りたい!」
今回もこの病はしばらく続きそうだ。