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sometime,somewhere...
Posted by - 2017.11.23,Thu
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Posted by sammy - 2011.12.22,Thu

夕日に染まる牧場 / Hokkaido, JAPAN


もうかれこれ2ヶ月以上前の10月中旬、僕はおよそ9年ぶりに北海道の道東地方を旅した。3泊4日の小旅行で。
北海道はかつて毎年のように愛車を駆ってあてのない旅を繰り返し、そういったリピーターで口にする北海道病とかいうやつに僕自身も十分に罹っていると認識をしていた。
ところが2003年以降、美瑛・富良野を飛行機+レンタカーで小旅行をした以外、道東地方への旅はとんと御無沙汰になってしまった。
海外志向へと気持ちが走ったこともあるが、北海道病の後遺症で飽きてしまった上に旅の予算を考えると北海道は割に合わない行き先でもあった。日本の物価は高く、レンタカー代などの移動費も含めれば予算はかさむ。
僕自身が求める旅の志向も変わっていった。


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大空と大地 / Hokkaido, JAPAN


かつて何度も訪れていた弟子屈にある旅人宿「ひとつぶの麦」は御無沙汰な僕にも関わらず、毎年のように年の初めに年賀状の挨拶をいただいていた。
オーナーの藤原さんと初めて会ったのが1994年の夏。
当時は足寄のはずれにあるオンネトーという湖の先に湯の滝と呼ばれる無料の混浴露天風呂があって、そこで入浴中に5,6人グループで同じく入浴に来ていたのが藤原さんで、その晩に泊まった宿が偶然にも藤原さん経営の「ひとつぶの麦」だった。
もちろん、入浴時に顔を合わせた時には宿のオーナーなどとは知らずに、そのグループの面々も前日からの連泊者だったことから、この奇遇な出会いはその晩の笑い話にもなった。


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牧場秋景色 / Hokkaido, JAPAN


10月中旬に4連休が出来たと分かった時、僕はどうしても道東と「ひとつぶの麦」にこだわった旅をしてみたくなった。
理由は単純で、かつての旅を僕の中でリピートしたいだけだった。それは観光目的などのない旅でもあって、思い出の中へ自分自身が帰る旅でもあった。
釧路空港を発着とし、レンタカーも借り、宿は3泊とも「ひとつぶの麦」に泊まる。それだけを決めて道東の大地に降り立ったのが10月16日。
夕暮れ迫る根釧原野を走り、すっかり道を忘れてしまった弟子屈町へ着いたのが日が暮れた午後5時過ぎ。
ナビを頼りに真っ暗な大草原を走り、藤原さんと9年ぶりの再会を果たす。
宿は定員20名にも満たない男女別相部屋の雑魚寝スタイルで、食事は見知らぬ旅人同士が同じテーブルを囲んでし、その場での雑談の延長は安い焼酎などで酌み交わす無料の飲み会へと続く。
これで1泊2食付3000円。
以前は3800円ほどの料金設定をしていたが、他の同形式の旅人宿が軒並み値上げをする中、藤原さんの宿は時代に逆行するかのように値下げをしていた。
いや案外、時代に逆行したかつてのカニ族全盛の70年代ユースホステルの継承みたいなものでもあるから、それに合わせて値段を下げたのかもしれない。オーナーの人柄が1泊2食付3000円の料金にも表れていた。


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阿寒の山々に沈む夕日 / Hokkaido, JAPAN


3泊4日と言っても初日は夕暮れ後に到着をして、最終日の朝は早朝の出発で空港へ向かい午前のフライトで帰る。
旅の日程は実質2日間だけで、その1日目は中標津や別海といった酪農地帯を車で走り抜け、雲の広がった午後は中標津の奥座敷、養老牛温泉で清流と紅葉とが絡み合う絶妙のロケーションで露天風呂三昧をする。まさに、「大人の休日」の実感だった。
2日目は裏摩周~清里とオホーツクに向け走り、世界遺産になり、すっかり欧米の観光地のように門構えを変えてしまった知床五湖へと行く。あいにく、目前に聳える羅臼岳は雲がかかって望めなかったが、大自然は昔のままだった。
知床から峠を越え再び弟子屈へと戻るその日の夕暮れ、丘陵地帯を西へとゆるやかに走るパイロット国道の大地を夕日が正面から照らし、やがて日が落ちると目の前の大地がシルエットとなって薄紫色の空と淡いオレンジ色の帯が広がる地平線の下へ映る。
遠く斜里岳、摩周岳、阿寒の山々…、感動的な時間だった。

***

紅葉の見頃も過ぎた小さな宿は、3日間とも少人数の宿泊客でかつての賑わいもなかったが、何もかもが以前と変わりはなかった。
ただ変わったと言えば、ヘルパーと呼ばれるお手伝いさんがここ数年確保出来ない状況が続いているそうで、たった1人無休で切り盛りしている藤原さんは「もう限界だ…」などと嘆いていた。
宿は来年7月で20周年を迎えるが、真剣に存続を考えていると言うことだった。

「もしかしたら、これが最後になるかもしれない」

そんなことを思い浮かべながら釧路空港へと向かった最後の朝、「帰る場所がなくなっちゃうな」とふと思った。
できればいつかまた帰りたい。そう願う…。


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