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sometime,somewhere...
Posted by - 2024.04.29,Mon
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Posted by sammy - 2018.09.23,Sun

sunset time / Essaouira, MOROCCO

毎年、夏が終わりかける9月末のこの時期になると、「もうあれから何年も経つのか…」と思い返す旅がある。
夏の暑さが名残惜しむかのように残り、かと言ってその暑さは苦しめるような猛烈さがあるわけでもない。
旅をするには快適な暑さが残る「もうあれから12年前」の今頃、僕は12日間もの長い休みを取ってモロッコを旅した。2度目となるモロッコへ行こうと思ったのも、長い休みを取ろうと思ったのも急ぎ足だったような記憶がある。この翌年10月には勤め先の民営化が控えていた。

前回のモロッコはその6年前の2000年1~2月で、アフリカと言えども寒い冬の時期だった。
現地ワルザザートでは偶然にも在住の日本人森分さんと出会い、その後も親交が続いていたこともあり、旅のプランは喧騒のマラケシュから始まりアトラス山脈を越え、砂漠のワルザザートで森分さんと再会。そこでレンタカーを借り自らのペースでマアミド、ザゴラと砂漠地帯をまわり、ワルザザートでレンタカーを返した後は再びアトラス山脈を越え、旅の終着点は哀愁漂う港町エッサウィラだった。



medina / Essaouira, MOROCCO


旅に出る前夜、僕は深夜勤務だったが仕事が始まる前、訃報を聞いた。
親しかったYという先輩が50歳の若さで亡くなった。
既に借金の肩代わりに退職金を充て数年前に職場から追われていたが、そういった一面とは裏腹に後輩への面倒見がよかったから僕も慕っていた。
だからこの旅はある意味、亡くなった先輩へのレクイエムのような感慨にも浸っていた。
とりわけ、最後のエッサウィラは潮風が郷愁を誘い、感慨に浸るにはこの上ない終着点でもあった。



central sea / Essaouira, MOROCCO


ワルザザートのレンタカー屋さんの前で森分さんと別れたのがお昼頃。
ちょうど良いバスの時刻がなかったためグランタクシーを人数分払いきって出発したのが正解で、アトラス山脈越えを飛ばしに飛ばしたグランタクシーはバスの半分以下の時間でマラケシュ到着を果たし、そのまま民営バスに乗り換え向かったら夕暮れ直後には大西洋に面した港町エッサウィラに到着した。

イスラムの言葉でマグレブ、西の果て。
これはモロッコなどイスラム圏でも地理的に西の果てにある地域を指すが、ここエッサウィラはマグレブという言葉が突き刺さるような場所でもあった。
何と言っても大西洋に面した場所に旧市街がある。そこは北アフリカ特有の混沌にアラビアの神秘がスパイスされ、カモメが無数に飛び交う海岸伝いは人々が物思いにふける場所でもあった。そこはイスラム圏の終着点でもあり、僕の旅もそれに重ね合わせ、ここが最後だった。
想えばこの日の朝は砂漠のザゴラにあるキャンプ場のテントで目が覚めていた。そこから一気に砂漠の大荒野を抜け、更には山脈を抜け、この地に到達したのである。だからなのか、夜の潮風が妙に心地よかった。



seaside road / Essaouira, MOROCCO



shop / Essaouira, MOROCCO


明けた翌日は旧市街を散策し、迷宮へ入り込むかのような路地のを歩いては異国を体感し、行き尽くしたと思えば海岸沿いに出て潮風をうけた。
エッサウィラは別名芸術家の街と呼ばれるだけあって街全体がアーティスティックでもある。
フランスからの移民も多く印象としてはアラブとヨーロッパとの融合であり、ジェラバを纏った女が行き交う街はまさしくアラビアの世界だが、路地ではカフェでフランス人オーナーがおいしいコーヒーをふるまい、店の軒先で騒ぐいたずらな子どもたちにはフランス語で愛情のこもったお説教をしている。
多国籍な街だった。



carpet / Essaouira, MOROCCO



medina / Essaouira, MOROCCO



medina / Essaouira, MOROCCO


今はあいにく、このような旅は出来ないし、休みだってここまで長く取れなければ自らのエネルギーだって12年も経った今、確実に落ちている。亡くなったY先輩の年齢もいつしか追い抜いていた。

猛烈に暑かった今年の夏も終わる。


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Posted by sammy - 2017.05.09,Tue

alley / Marrakech, MOROCCO


寒い冬を越したころからバタバタと家族の事情に追われ、桜も散り、新緑の季節を迎え、何事もなければ今日今頃は成田空港に到着予定だった旅も取り止め、しばらくはこういった日々が続きそうなこともあり、どこかへ出かけない代わりに古いフィルム写真の整理を時々しています。

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舞台は2000年初頭のモロッコ。
「ここはどこなのか?」と、まさに迷宮にでも入りこんでしまったかのような感があったのがマラケシュ、メディナの路地。
薄茶色の壁が続く街並みをジュラバを纏った老婆が行き交い、それは異国を感じるには十分過ぎるほどのドキドキ感があり、「東洋でも西洋でもない世界へ来たんだ」と気持ちが高まったことを憶えている。
当時はフィルムの一眼レフを使い、ネガとポジを使い分けていた。
たぶん、ポジの敏感な使い難さを旅の全行程でするには抵抗があり、安全策として露出の幅が広いネガ・フィルムを使っていたと思う。
後に、その使い分けが面倒になり、鮮やかさで優るポジ・フィルムに旅のお供は統一し、さらにはデジタルとポジの使い分けとなり、デジタルの使い勝手の良さを認識するとデジタル一本での旅となる。2007年位からがそうだと思う。
だからある意味、ネガ・フィルムで撮った旅の情景は貴重な記録かもしれない。

あらためてスキャナーを通して当時の様子を取り込んでみると、ネガ独特のザラザラ感が時の経過を感じさせてくれる。
「今」ではない雰囲気が逆に新鮮さを生み出している。
ただ、残念ながら撮った当時の記憶となると曖昧だったり、全く記憶すら残っていないものがほとんどでもある。
この路地で撮った写真も、当時の僕が何を想ってシャッターを切ったのか全く憶えていない。
推測するに、きっと不思議な世界へ入りこんだ感動が記録として残っているんじゃないかと。
少なくともこの当時、旅の経験がまだまだ浅かった僕にはすべてが新鮮だった。
旅の経験も増し、情報も錯綜し簡単に手に入ってしまう今、その新鮮さを懐かしく思う。



Jemma el Fna / Marrakech, MOROCCO


Posted by sammy - 2016.09.28,Wed

The Road in Desert Town / Mhamid, MOROCCO


僕の旅の中で「異国」を最も強く感じたのはモロッコだった。
もちろん、それに値するそれ以上のインパクトを感じる場所もあったと思うが、ハッキリと記憶の残る形ではモロッコだったと思う。目に映る日常との違いは強烈だった。
最後にモロッコを旅したのは10年前の今頃だったが、この時は「勝手気ままに旅をする」原点に戻って、途中から公共交通機関を使わずにレンタカーを借りた。
手配等は現地在住の知人がしてくれたが、左ハンドル、マニュアル車でのドライブは戸惑いもあったものの、自由ということに関してはまさしく旅の原点を楽しめたと思う。
そうでなければ、こんな土壁で覆われたかのような砂漠の町に足を踏み入れ、その姿を写真に収めて残すことも出来なかったと思う。
いつかまた、こんな旅をしてみたい。
今は無理でも、いつかきっと。


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最近はブログの更新も滞り、月一いや、二月に一度となってしまいました。
自らのケガや親の病気などもあり、旅の再開は早くても年明け後。1週間以上の長旅は到底無理な状況が続くと思います。
このモロッコへ行ったのはちょうど10年前ですが、当時は公務員(その後は民営化されましたが...)でしたし、両親も元気でしたし、「とことん行ってやろう!」の頃でした。
旅への情熱は今も失せていませんが、「しばらくはゆっくりしよう」の気持ちもあります。
ブログは単発写真で回帰した旅の場面場面を更新してゆくつもりです。
今後とも、ボチボチながらよろしく!