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sometime,somewhere...
Posted by - 2025.02.02,Sun
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Posted by sammy - 2019.01.28,Mon

Chao Praya River / Bangkok, THAILAND

旅から遠ざかっていた。
昨年6月、父の介護の傍ら職場から恩恵を受けた旅券を行使しハノイ~シェムリアップへ行ったが僅か3日で途中帰国した。父が病院のベッドから落ちてケガをしたという知らせが旅先まで届いたからだ。
その夏の始まりの頃からはもう、散々な日々だった。父の入退院の繰り返し、最後は突然死。さまざまな手続きに追われた夏の終わり頃からは自らの体調不良が始まった。
旅からもネットからも離れていた。

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年賀状のない新年が明け、僕もやっと旅のスタートラインへと戻ってきた。
旅に飢えていた日々では日常の中で旅を思い出そうとかつて読破した紀行本などを読みあさった。

「僕にとってのアジアは今も昔もバンコクである」

このフレーズが好きで、これを書いた下川裕司さんの著作を本棚から探したが見つからず(たぶん、一度整理してしまったようだ…)つい先日、図書館で偶然に「ホテル・バンコクにようこそ」というその著作を見つけた。
そう、僕にとってのアジアは今も昔もバンコクであり、初めて降り立った22年前からその思いは今も続いている。
当時は成田空港週2便正午発エア・インディア、バンコク往復チケットが38,000円だった。
真冬の日本からドンムアン空港へ到着した時の蒸しかえるような湿気まじりの熱気にアジアを感じたことを今も覚えている。
人々が暑さに屈することなく活きていた。それがアジアであり、バンコクだった。

1月31日、その22年前を彷彿させるかのような往復40,000円のチケットでバンコクへと向かう。降り立つ先もドンムアン空港。
22年前と違うのは出発が名古屋で午前11時発、格安航空会社のエア・アジアで行くということだ。
僕にとってのアジアが、そこに待っている。


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Posted by sammy - 2018.09.23,Sun

sunset time / Essaouira, MOROCCO

毎年、夏が終わりかける9月末のこの時期になると、「もうあれから何年も経つのか…」と思い返す旅がある。
夏の暑さが名残惜しむかのように残り、かと言ってその暑さは苦しめるような猛烈さがあるわけでもない。
旅をするには快適な暑さが残る「もうあれから12年前」の今頃、僕は12日間もの長い休みを取ってモロッコを旅した。2度目となるモロッコへ行こうと思ったのも、長い休みを取ろうと思ったのも急ぎ足だったような記憶がある。この翌年10月には勤め先の民営化が控えていた。

前回のモロッコはその6年前の2000年1~2月で、アフリカと言えども寒い冬の時期だった。
現地ワルザザートでは偶然にも在住の日本人森分さんと出会い、その後も親交が続いていたこともあり、旅のプランは喧騒のマラケシュから始まりアトラス山脈を越え、砂漠のワルザザートで森分さんと再会。そこでレンタカーを借り自らのペースでマアミド、ザゴラと砂漠地帯をまわり、ワルザザートでレンタカーを返した後は再びアトラス山脈を越え、旅の終着点は哀愁漂う港町エッサウィラだった。



medina / Essaouira, MOROCCO


旅に出る前夜、僕は深夜勤務だったが仕事が始まる前、訃報を聞いた。
親しかったYという先輩が50歳の若さで亡くなった。
既に借金の肩代わりに退職金を充て数年前に職場から追われていたが、そういった一面とは裏腹に後輩への面倒見がよかったから僕も慕っていた。
だからこの旅はある意味、亡くなった先輩へのレクイエムのような感慨にも浸っていた。
とりわけ、最後のエッサウィラは潮風が郷愁を誘い、感慨に浸るにはこの上ない終着点でもあった。



central sea / Essaouira, MOROCCO


ワルザザートのレンタカー屋さんの前で森分さんと別れたのがお昼頃。
ちょうど良いバスの時刻がなかったためグランタクシーを人数分払いきって出発したのが正解で、アトラス山脈越えを飛ばしに飛ばしたグランタクシーはバスの半分以下の時間でマラケシュ到着を果たし、そのまま民営バスに乗り換え向かったら夕暮れ直後には大西洋に面した港町エッサウィラに到着した。

イスラムの言葉でマグレブ、西の果て。
これはモロッコなどイスラム圏でも地理的に西の果てにある地域を指すが、ここエッサウィラはマグレブという言葉が突き刺さるような場所でもあった。
何と言っても大西洋に面した場所に旧市街がある。そこは北アフリカ特有の混沌にアラビアの神秘がスパイスされ、カモメが無数に飛び交う海岸伝いは人々が物思いにふける場所でもあった。そこはイスラム圏の終着点でもあり、僕の旅もそれに重ね合わせ、ここが最後だった。
想えばこの日の朝は砂漠のザゴラにあるキャンプ場のテントで目が覚めていた。そこから一気に砂漠の大荒野を抜け、更には山脈を抜け、この地に到達したのである。だからなのか、夜の潮風が妙に心地よかった。



seaside road / Essaouira, MOROCCO



shop / Essaouira, MOROCCO


明けた翌日は旧市街を散策し、迷宮へ入り込むかのような路地のを歩いては異国を体感し、行き尽くしたと思えば海岸沿いに出て潮風をうけた。
エッサウィラは別名芸術家の街と呼ばれるだけあって街全体がアーティスティックでもある。
フランスからの移民も多く印象としてはアラブとヨーロッパとの融合であり、ジェラバを纏った女が行き交う街はまさしくアラビアの世界だが、路地ではカフェでフランス人オーナーがおいしいコーヒーをふるまい、店の軒先で騒ぐいたずらな子どもたちにはフランス語で愛情のこもったお説教をしている。
多国籍な街だった。



carpet / Essaouira, MOROCCO



medina / Essaouira, MOROCCO



medina / Essaouira, MOROCCO


今はあいにく、このような旅は出来ないし、休みだってここまで長く取れなければ自らのエネルギーだって12年も経った今、確実に落ちている。亡くなったY先輩の年齢もいつしか追い抜いていた。

猛烈に暑かった今年の夏も終わる。


Posted by sammy - 2018.09.10,Mon

bikes on the street / Hanoi, VIETNAM


路上をまるで波のようにバイクが走り抜けていた6月のハノイ。

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職場を30年働いたご褒美でいただいた旅券で短い旅に出たが、最中で父にアクシデントがあり途中で帰国した。
その父が7月に亡くなり、直後の慌ただしい日々が終わった後に妙な孤独と自身の体調不良(これは元々の持病の悪化でお付き合いするしかないのだけれど…)に今度は襲われている。
それでも、生きている証(大袈裟?)ということで久々の更新をしてみた。
アジアの熱気が恋しい!