sometime,somewhere...
Posted by sammy - 2009.12.24,Thu
Hermosa Beach, LA
どこまでも爽快なまでに青く澄み渡っていた、3月のロサンゼルスの青い空。
わずか4泊5日の無理矢理つめ込んだかのような短き旅の中で、僕は出会いと再会と、そして言葉で言い尽くせないほどの歓びを味わった。
* * *
そもそもこの旅はリスクを伴う想定から始まっていた。
目的はあくまでWBC観戦。
それも休暇が最大5日しか取れなかった僕にとって、最大限に活かせる日程は決勝トーナメント3試合を確実に観戦できる3月20日の出発しかなかった。
しかし、お目当てのサムライ・ジャパンが確実にここまで勝ち進める確証など何も無い。
それどころか、そこへ至るまでの厳しい戦いの連続に、「何でこんな旅の計画をしたんだろう…」と自問自答する日々が出発直前まで続いた。
だからなのか3月20日夜、成田を発つ僕の目に飛び込んだ搭乗口の「ロス・アンジェルス」の文字に思わず目頭が熱くなり、こみ上げる感情を抑えきれないほどの興奮を覚えた記憶がある。
何はともあれ、僕は3月20日の午後、ロサンゼルスへ降り立った。
* * *
空港でレンタカーを借りて向かった先はダウンタウンの東側、ボイルハイツという地区にある日本人経営の宿「はまだ宿」だった。
宿と言うよりは一軒家のアパートメントの各部屋を、1泊わずか$25の安さで提供している格安のレンタル・ルームで、この安さでありながら裏には十分な駐車スペースもあり、まだ肌寒い3月のLAにはありがたいバスタブ付きの風呂もあった。
ダウンタウンから延びる1st. street 沿いにある「はまだ宿」建物の外観
この宿のオーナーはその名のとおり、浜田さん。
この旅で得た出会いは、この浜田さんとの出会いだった。
浜田さんはかつては世界中を旅したバックパッカーでもあり、現在はこの「はまだ宿」の斜め前にあるLA最古の日本食レストラン「お富レストラン」の3代目オーナーでもありシェフでもある。
この「はまだ宿」。
ネットでもガイドブックでも大々的に紹介されるようなことはしていない。
唯一と言っていい紹介元は2008年初頭に発売された「DAYTONA」と言う雑誌に紹介されたくらいで、どうやって宿泊者がやって来るかと言うとメキシコシティーにある有名な日本人宿「アミーゴ」からの紹介か、僕のようにネット・サーフィン中に見つけた口コミを頼りにやって来る者が大半らしい。
だから僕も最初は半信半疑だったが、まずは約束された「お富レストラン」へチェックインの手続きで伺った際に全ては解消された。
そこにいた浜田さんは実に朴訥な人柄の、いい人そのものだったからだ。
部屋は1階に2部屋あって、僕の滞在中は世界旅行中でメキシコから渡って来たタカハシくんという青年と言うよりはまだまだ少年のような若者がもう1部屋に泊まっていた。
冷蔵庫も台所もトイレも風呂も共同ではあったが、共に忙しい旅人のお互いが交わる時間はほとんど無く実質、LAライフを1人で満喫しているようなものだった。
そして、どこへ行こうが日本食を好んで食べる僕にとって、同じ経営の「お富レストラン」がすぐそばにあるのは実に便利なだけでなく、思わぬ恩恵にも授かり続けた。
浜田さんはレストランが休みの日も閉店後もいつも、レストランの厨房に立っては料理の研究をしている。
そして、宿泊者には毎晩のように料理の余りものを無料で提供してくれるばかりか、カリフォルニアロールや秋刀魚といったメニュー品までご馳走をしてくれた。そして、それがまた美味い!
元々の浜田さんはバックパッカーだったが、料理の腕前はと言うと「ヨーロッパのレストランで住み込みで働いたくらい」らしく、それも「当時は旅先で食っていける手っ取り早いバイト」として経験を積んだことがあるくらいだったらしい。
この職に就くまでは10年ほど、ダウンタウンにある有名な安宿「チェトウッド・ホテル」で働いていたが、オーナーからホテルを譲りうける話が消滅し、同時期に話のあったこの60年余り続く古く小さな日本食レストランの経営譲渡へと方向転換したらしい。
そして今、この「お富レストラン」は浜田さんと古くからの友人でもあるLA在住の弥生さんという女性、そして日本の某一流企業を辞めて単身LAへ渡って来た根岸くんという青年の3人で切り盛りしている。
3月23日、WBC決勝観戦前に食べたカツ丼
その御利益はイチローのバットへと乗り移った?
僕の滞在中、「お富レストラン」は盛況だった。
客層はさまざまだが、あの「ロサンゼルス・タイムス紙」に暖簾が60年も続くLA最古の日本食レストランとして紹介された効果もあったらしく、最近は盛況が続いていると浜田さんは言っていた。
僕も今までずいぶんと世界中あちこちを旅させていただいたが、浜田さんのように金欲も無ければ裏表も無く飾り気も無い、ただただ実直に生きているようなオーナーは初めて出会った。
もちろん、旅先で同じように「いい人だなぁ」と感じたことは今までにも多々ある。そんな多々ある中でも浜田さんと短きながらも接して感じた人柄は格別の感を覚えるほど温かく、朴訥とした語り口は愛媛の離島で育った生き方がそのまま今に至っているかのようだった。
それらを裏付けるかのような話がある。
訊けば、見習いのように厨房で働く根岸くんは関東にある某国立大学の大学院を出て大手の製作所へ入社したがそこで挫折を味わい、日本社会を飛び出してLAまでやって来たらしいが、大学院時代の恩師が連れ戻しに来ても、「ここがいい」と言って帰らなかったそうだ。
浜田さんは「もったいない」と悔やむが、きっと根岸くんは浜田さんの人柄に、日本社会で得られなかったものを感じているんだと思う。僕の勝手な推測だが…。
LA最古の日本食レストラン「お富レストラン」店内に立つ浜田さん
写真を撮らせてもらった僕に撮影後浜田さんは礼儀正しくお辞儀をした
WBC決勝で日本が延長戦を制し連覇を果たした3月23日の深夜、時計の針は深夜1時半を過ぎていたのに「お富レストラン」の灯りはついていた。
裏口をノックして中へと入れてもらい、浜田さんとささやかな祝杯を挙げた。
僕の声はもうガラガラ。浜田さんはしきりに「よかった、よかった」と喜んだ。
その翌日、部屋の鍵を返しに開店前の店へお邪魔すると、浜田さんは朝食代わりに大盛りのカレーライスをご馳走してくれた。
お代を払おうとする僕に、「余りものをご馳走させてお金をいただくなんて料理人の風上にもおけませんよ。もっとも、わたしはエセ料理人ですが。ハッハッハ」と笑った。
あの青い空と浜田さんが懐かしい。
また会いたい、いつの日か。
---------------------------------------------
はまだ宿
2415 East 1st Street, Los Angeles, CA 90033 U.S.A.
http://www.geocities.jp/hamadajyuku/index.html
hamadajyuku@yahoo.co.jp
Tel: 1-323-526-1150(14:00-22:00 日曜除く)
予約はメールか電話で。
ちなみに、メールの送受信は根岸くんで浜田さんは伝え聞いたものを口頭で応えるだけらしいです(笑)。
あしからず。
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Comments
>旅人さん
レス遅くなって申し訳ありません。
「あのはまださん」を知らない自分にも分かる、旅を重ねて来た人だったんだなと印象に持ちました。
とにかく面倒見がいい!
ただ、お兄さんのことは知らなかったので驚きですが…。
「ダイマルホテル」→「チェットウッドホテル」に訂正しました。
単なる僕の思い違いですが、正しい情報もありがとうございました。
レス遅くなって申し訳ありません。
「あのはまださん」を知らない自分にも分かる、旅を重ねて来た人だったんだなと印象に持ちました。
とにかく面倒見がいい!
ただ、お兄さんのことは知らなかったので驚きですが…。
「ダイマルホテル」→「チェットウッドホテル」に訂正しました。
単なる僕の思い違いですが、正しい情報もありがとうございました。
あのはまださんが今ホテルをやっているという噂を元にネットで調べてみてここにたどり着きました。
はまださんが長い間働いていたのは、「ダイマルホテル」ではなく「チェットウッドホテル」です。
はまださんのお兄さんはハワイや西海岸に一杯あるレストラン浜田のオーナーって知ってました?
なにはともあれ、浜田宿の情報ありがとう。
はまださんが長い間働いていたのは、「ダイマルホテル」ではなく「チェットウッドホテル」です。
はまださんのお兄さんはハワイや西海岸に一杯あるレストラン浜田のオーナーって知ってました?
なにはともあれ、浜田宿の情報ありがとう。
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