sometime,somewhere...
Posted by sammy - 2015.03.18,Wed
I LOVE KHAOSAN / Bangkok, THAILAND
初めてこの地へ足を踏み入れたのは1997年2月。
自身2度目の海外旅行、初東南アジア、初タイだった。
flags / Bangkok, THAILAND
happy beer / Bangkok, THAILAND
当時は水土の正午に成田発のバンコク直行エア・インディア便があり、お値段は総額にして38,000円位、バンコク着がまだ外が明るい午後5時頃にドンムアン空港に着くことから使い勝手のいいフライトとしてバックパッカーに人気があった。
初バンコクの頃は不安と緊張、どこか怪しげな雰囲気がそこら中に潜んでいるようで、同じように察している連中らと空港で意気投合し、共に「まずはカオサン」を目指した記憶がある。
当時はまだ、「東南アジア=タイ=危険なところ」といった認識が不慣れな旅人にはあり、そういった起こりうる危険を楽しむことも旅の醍醐味だった。
old apartment / Bangkok, THAILAND
では、実際に危険ってあったんだろうか?
ここで感じていた危険は、ボッタクリなどの騙されることだった気がする。
今では当たり前のように感じる値段交渉においてのまずは、高値の提示。
当時はそのことが「=騙されている」感覚だったかもしれない。
でも実際に騙されたこともある。
ファランポーン駅でマレーシアのペナン島行きの鉄道切符を買おうとしたら、旧正月と重なってあいにく満席だった。
そこにすかさず、勧誘の手がのびる。
「大丈夫だよ、ウチのオフィスで何とかなる」。
そうして連れて行かれた駅至近の裏通りにあった小さな旅行会社には、カウンターに豪華さを見せつける快適な内装のバス写真や、実際に搭乗して体験した日本人からの感謝の手紙などが貼られていた。
行きはマレーシアまでの国境越えのバス、帰りはバンコクまでの同じく国境越えの寝台列車を、「駅では出来なかったけれどここでは出来る」という安心感からすかさず頼んでしまった。
明日の夕方、出発もこのオフィスから。
要は、通常のバス・チケットや鉄道切符に手配料を大幅に上乗せし、ツアーと称して売り込んだだけのことで、同乗の日本人にバスの車内でチケットの値段を聞いてやっと気がついた。
ありがちな初東南アジアだった。
cart / Bangkok, THAILAND
shop / Bangkok, THAILAND
そんな体験から、旅先では現地で生情報をまずは集めるようにした。
旅人がウジャウジャしているカオサンは情報集めに好都合だった。
ヤマのようにある旅行会社も見極めが難しかったから、日本人経営のMPツアーがあるカオサンは、そこから旅立つにも好都合だった。
cat / Bangkok, THAILAND
drunk guys / Bangkok, THAILAND
いつのまにか「安心、安全」をウリにカオサンで商売をしていたMPツアーは夜逃げをしてこの街を去り、今ではすっかり、この街のアジア人と言えば中国人が主流になっていた。
日本人の溜まり場的な場所はなくなり、情報はもっぱら街中の至るところでキャッチできる無料のWiFiを通してネットで集めている。
便利で、より多くの情報を集められるかもしれないが僕はやはり、アナログで生の情報を集めた頃が懐かしい。
隣に座った女に陸路国境越えのカンボジア情報を尋ねたら、その女は7年前に北海道の知床で一緒に山登りをした女だったなんて驚きは、デジタルでは味わえないんじゃないか?
今ではすっかり、東南アジアもタイもカオサンも旅そのものも、スマートになってしまった気がする。
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Posted by sammy - 2015.03.11,Wed
table on the street / Bangkok, THAILAND
今回のバンコクに限らず、昨秋から続けたミャンマー、カンボジアの旅で感じ続けたことのひとつに、「かつて」と呼べる90年代後半から2000年代前半にかけての僕自身が旅というものに「駆け足」だった時代の旅や気質が、今とは変わった気がする。
90年代後半に初めてアジアの地に足を踏み入れた頃は、それがたとえバンコクのカオサン通りであっても、日本人と遭遇すると妙な安心感を共に感じていた。
みんなどこか心細く、同じ日本人の顔に仲間意識が芽生え、共に旅を楽しもうと交わった。
そういう感情が起こることが異国であり、その感情とそこから起こりうる展開が旅の楽しみでもあった。
俗に言う「深夜特急」の旅かもしれない。
自分自身が主人公になり、さまざまな感情を抱きながら旅を続ける。
それは明らかに日常とは繋がっていない自分だけの世界へ飛び込める手段でもあった。
KHAOSAN / Bangkok, THAILAND
タイやマレーシア、ベトナムといった国々はそんな旅を楽しめる発展途上の魅力が詰まった国々だが、今はそんな国々の人たちが僕らが旅を楽しんだように、日本と言う未知の国へ来て楽しんだり、さらには同じ東南アジアの周辺国への旅を僕らと同じように楽しんでいる。
昨秋のミャンマーでは日本人との遭遇が皆無だったのに対し、マレーシアやベトナムの若者たちとは遭遇をした。
かつては旅先で目にするアジア人の顔付きと言えば即ち「日本人」だったが、2000年代に入り韓国人が急激にその顔を増やし、追随するように中国人が増えたかと思ったら瞬く間に大量増殖をし、今や日本人の顔を見て安心感を覚えることもなくなるくらい、異国での存在は消え去ってしまった。
旅に出て、日常では出会えないような日本人たちと出会い楽しむ。
そんな旅はもう、余程の運がなければできないくらい、見つけられなくなった気がする。
street shop / Bangkok, THAILAND
カオサン通りを歩いていても、目にするアジア人はほとんどが連れ添って歩いている中国人たちで、日本人で心細くさまよっているような奴は皆無に等しい。
ネット交流が当たり前の今、どこに居ても常に誰かと繋がり、誰かと繋がろうとしたかつての時代のように交わろうとしなくなったのかもしれない。
食堂でもどこでも、手のひらに広がる画面に夢中の旅人も増えた。その先には離れたはずの日常も繋がっていると言うのに…。
dancing / Bangkok, THAILAND
lazy gal / Bangkok, THAILAND
昨年末から小林紀晴の「ASIAN JAPANESE」を再読し、この旅でもゆっくりとページをめくりながら古き旅の様子に思いを馳せた。
「深夜特急」も「ASIAN JAPANESE」も主人公は著者であり、孤独だった。
出会いは孤独から生まれ、その出会いの様子に惹かれ、僕も他の多くの者たちもそんな旅に憧れて旅に出た。
時代は70年代、90年代のアジア。
今は旅そのものがスマートになり、アジアが持っていた危うい魅力は「安全」と言う言葉と引き換えに消えつつある。
安全と引き換えに魅力がなくなるとは皮肉なことだが、それが発展であり、発展した地の若者はかつて異国の若者たちが自国へ入りこんできたように、周辺の未開の地への旅を楽しんでいる。
時代は変わっていないようで変わったのかもしれない。
Khaosan at Night / Bangkok, THAILAND
Posted by sammy - 2015.03.09,Mon
chaopraya river / Bangkok, THAILAND
年度末の予期せぬところにできた今日までの6連休。
わずか1ヶ月前にカンボジアを旅して帰路にトランジットで1泊のみ滞在したバンコクにふたたび、舞い戻って(?)きました。
僕にとってのアジアは今も昔もバンコク。
そのバンコクへはここのところ、周辺国への旅の行きとか帰りにオプションのような半日滞在とかで寄ってはいるもののいつも、「あ~、もう終わりかよ…」とか、とにかく24時間以内のトランジット滞在だから時間は希少。
忙しく、消化不良な滞在が続いたせいか、ずっとこうした予期せぬ休みでも取れたら、じっくり、ゆっくり、のんびりと行ってみたい願望を持っていました。
だから今回、急に決まった休みで旅も行ったばかりだと言うのに、迷わずバンコクへの舞い戻りを決めました。
さすがに、航空券は安さで決めましたけど(笑)。
滞在はバンコクのみでそれもカオサン。
以前も泊まったDang Derm Hotelに5連泊し、そこを拠点にブラ~ブラ~、ダラ~ダラ~する日々。
このホテル。カオサンにありながら屋上にはキレイなプールがあり、部屋はオーセンティックな靴脱ぎで入る板の間に布団敷き。とにかく、ここの居心地がいいんです。外の喧騒とは裏腹に。
退屈と言えば退屈過ぎた5日間。
でも、肩肘張らずに居られて、どこか憎めないタイ人たちと交わった5日間は僕が欲しかった旅の時間。
たまには、こういった本当にノープランな旅もアリかなと思ったのが今回のバンコクでした。
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