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sometime,somewhere...
Posted by - 2025.03.11,Tue
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Posted by sammy - 2009.06.24,Wed

アチコチで人々の会話が絶えないセントロの街

ハバナの印象のひとつに、街中のいたるところが人々の声でザワザワとしていることがある。

キューバ人は元来が話し好き、コミュニケーションをとるのが好きだというのがその根底にあるかと思うが、一般に印象として感じてしまう「社会主義=暗い」イメージからは程遠く、どこまでも開放的なカリブ特有の陽気で明るい性格を感じる。

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道端であろうがベランダからであろうが、キューバ人は常に誰かとコミュニケーションをとるのが好き

街のざわつきについては他にもさまざまな要素が絡んでいると思うが、密集した街の作りもその一因にあるんじゃないかと考えてみた。

キューバの街。
それもセントロやビエハといった古くからある旧市街の街並みは、繁栄を極めたスペイン統治時代の19世紀後半に建てられたコロニアルな建造物が今でもそのまま残され、しかもそれは保存ではなく、今でも人々の住居として現役の活躍をしている。

このあたりの事情が「昔のまま」の風情を今に伝える魅力となって映るわけだが、特に指定された有名な建造物だけではなく、街全体がユネスコの世界遺産に指定されている所以でもある。

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タイムスリップしたかのような街の一角

各々の家の作りは3階建て以上が主流。
そこには何家族もが詰め込まれるかのように住み込んでおり、人口密集度の高さ、そして人々は家の中にいるよりも心地よい貿易風が吹き抜ける屋外の日陰にいた方が快適だということも街のざわつきの一因にあるんじゃないかと思う。

ザワザワ…ザワザワザワ…。

ハバナの街のいたるところから聞こえてくる街のざわつき。
それは深夜まで続く。
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Posted by sammy - 2009.06.20,Sat

マレコン(海岸通)へと延びるセントロのカンパネリ通り

4年ぶりにやって来たキューバ。

まずは空港内で日本円を変換ペソと呼ばれるキューバ独特の外国人用通貨に両替をする。
この変換ペソは現地ではコンバーチブルなどと呼ばれており、要は僕ら外国人が普通にキューバ人民のお金に両替をできたとしたらそれは、1円が大変な額になってしまったりするために外国人用の両替レートとしておおむね米ドルと同じレートに10%ほど加算した額で算出し(2009年6月現在1ペソ=約108円)、滞在中はキューバ人民とは違った紙幣、硬貨(いわゆるコンバーチブル)を使用して全てのお金の支払いを済ますと言うもの。

簡単に言ってしまえば、僕らが使う1ペソは同じ1ペソでも貨幣価値は全く違う高価な1ペソで、この1ペソいや、何十ペソも欲しさに通称ヒネテーロ(馬にまたがって腰を振り回す女のこと)と呼ばれる外国人相手のタカリが数多く存在するのもキューバ。
外貨獲得資源として他国からの観光客にはたくさん来てもらいたいが、多くの国々と貨幣価値が大きく違うためそのまま両替をされたら大きな格差が生じるばかりか、国にとっても微々たる特にしかならない。
だったらと言うことでキューバ人民と外国人とでレートの差が生じる二重貨幣なんだろうけど、このあたりに発展と言う言葉と反してきた社会主義国キューバの暗い影を感じずにはいられない。

ヒネテーロの存在に関しても、「ならば、そんなキューバもアジアの数多くの国々などと同じじゃないか?」と思われがちだが、ここは真の社会主義国、そして教育もしっかりしている。
よって、そういったタカリにしてもしつこさはなく、騙そうとするようなことがないのが通例。
もちろん、タカリの存在はウザくもあるので軽くあしらうものの、しつこくないので後に嫌な気持ちが残らない場合がほとんど。
アッサリしているのがキューバ人の特徴ではあるが、社会主義国なのに、いや、だからなのか、外国人相手に貨幣価値の高いお金を欲しさにタカってくることにも、この国が抱えている問題が大きく潜んでいるのも事実。

なのに、「外国人=大金持ち」がうじゃうじゃ街を歩いているので治安にしても悪化の一途をたどってもおかしくはないわけだが、外国人相手の犯罪に関しては非常に重い罪を課されるらしく、むしろ僕らは国に富をもたらす良きお客さんとして厚遇されている感じにも映る。
今や観光産業はキューバにとって最も重要な産業でもあるわけだから国も必死である。

その象徴とも言えるのがこれまたキューバ独特のシステムで、増加する観光客に対するホテル数の不足を補うため、政府が認可した一般の家庭を宿泊施設として貸し出す通称カサ・パティキュラル(以後、略称してカサ)と呼ばれるという制度。

この民泊制度はいわゆるホームステイ感覚でキューバの一般家庭に寝泊りして、キューバ人家族ともフレンドリーに接しられることから人気で、その軒数も街中のいたるところにあり、値段はロケーションなどのよい高級な部屋で35ペソくらい、一般的な部屋で20~30ペソくらいが相場。
たいていのカサは玄関や居間などが共通でも、部屋は鍵付きで中にはプライベート・バス、トイレ付きというものがほとんど。
年がら年中暑い国を繁栄してか、エアコン、扇風機、冷蔵庫付きもほとんどで、プライベートなキューバン・ライフを楽しむには十分かつ、宿泊家庭からの温かいもてなしも受けられることから、人気の宿泊制度でもある。

僕は最初のハバナ2泊だけネットを通して事前にカサを予約。
場所は旧市街と新市街の中間にあたるハバナ・セントロ地区。
選んだカサの立地はマレコンと呼ばれる海岸通りにも近く、日本人の舌に合う中華街へも徒歩7,8分圏内。
セントロという地区にこれと言ったメジャー・スポットがあるわけではないが、日本で言うところの下町風情がある住宅街の中での暮らしはキューバン・ライフを身をもって感じるには魅力的かつ、旧市街、新市街共々タクシー不要の徒歩圏内に入る距離も魅力。

両替を済ませた僕は空港ターミナル前にたむろするタクシー・ドライバーと値段交渉をし、このセントロにあるカサへと向かう。

* * *

空港から外へ出るとムッとする暑さと強い日差しが照りつけている。
それは、日本の6月とは違う真夏の暑さだった。

空港からのタクシーは最初25ペソのふっかけから始まり結局、18ペソまで落としたドライバーのタクシーで決まった。
ドライバーの名はドイツで4年働いていたと言うウバール。
「ドイツ語ならば話せるんだけどな」とか言うものの英語も自分と同程度(?)ならばOK。
タクシー・ドライバーという類にしてもキューバ人はたいてい好印象な人が多く、このウバールも途中、革命広場、長距離バスステーション、ハバナ大学等など、途中で通過する名所要所を説明してくれる親切ぶり。
ただ…。
18ペソまで落とした代金は20ペソの支払いに対してお釣りの持ち合わせが足りなく、最後は人民ペソまで出して「これでいいにしてくれ…」。
まあ、こんなもんでしょ、キューバ。

到着したセントロのカサの名は「カサ・ルイス・ミゲール」。
その名の通り、ルイス・ミゲールがオーナーの宿。
到着時外出していたミゲールは携帯電話の呼び出しで戻り、「Nice to meet you !」といきなり手厚い握手を受ける。
熱い男だった。
僕がカサ選びを参考にしたサイトでも彼の好人物ぶりは絶賛されていたが、会ってみた印象でも実に好感だった。

僕がここを選んだ理由の一つに部屋のドアが玄関とは別になっていること、要するに出入りが家の中を通らずにいつでも自由に出来ることがあったが、その部屋は2階にあった。
部屋の掃除が終わった合図を受けミゲールの案内で行くと、部屋は思った以上に古いながらもキレイに手入れされてはいたが、バス、トイレは一旦外へ出て行かなければならないタイプの部屋であり、さらには肝心の部屋鍵が故障をしている。
「う~ん???」。
部屋鍵の故障は明日までに直すとは言われても、さすがにこれでは困ってしまう。
治安がいいとは言ってもここはキューバなのだ。

部屋の古さ、そしてプライベートと謳いながら部屋の外にあるバス、トイレも気に入らなかったので「他に部屋はないか?」とミゲールに尋ねるとさっそく近くの知り合いのカサへ電話を入れ、僕を案内してくれることになった。

そのカサはカサ・ルイス・ミゲールからわずか1ブロック隣にある玄関共用のカサ。
部屋は広くバルコニー付きで、そのバルコニーからは右手にマレコンとカリブ海も見え、物件としてはミゲールの部屋よりも数段良く、さらには値段もミゲールのカサが1泊30ペソに対して、こちらは25ペソまで下げてくれると言う。
ただ、この時、家にいたオカミサンらしきご婦人がいたく愛想がなかった。
「僕は、この愛想のないご婦人の家に3日間寝泊りするのだろうか?」。
自問自答の答えは「No」だった。
するとミゲールはもう1軒、近くにある親しいカサを案内してくれた。
そのカサの名は「カサ・マリア」。

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街角に建つカサ・マリア
右手にある玄関のドアに貼られた青いマークがカサ経営認可の印


マレコン近くにあるミゲールのカサから同じカンパネリ通りを2ブロックほど上った角にあるコロニアルな邸宅がカサ・マリアで、中に入ると中庭に面した場所に部屋が2つあり、小さいほうの部屋ならば25ペソだと言う。
「う~ん、25ペソか…」。
だったら先ほどのカサの方が数段よい物件だと思い直したが、嘘か本当かミゲールは先ほどのカサは僕が断った直後に入り手が決まってしまったと言う。
このわずかな間のカサ探しは時間が1日の中でももっとも暑い午後3時前後だったこともあり、着ていたTシャツは噴き出した汗でビショビショに濡れていた。
「もう、ここしかないな…」。

「カサ・マリア」は奥さんの名前マリアからとったもので、このマリアさんの娘のヨラは英語が堪能だった。
あとの家族やお手伝いさんらは皆、スペイン語オンリーだったこともあり、宿の切り盛りは事実上、このヨラが仕切っていた。
ヨラに訊くところ、仕事はこのカサ経営1本だという。
宿泊費のほとんどは国に納める仕組みとはいえ、外国人から貨幣価値の高いお金で収入を得られるカサ経営をしている家は社会主義国キューバの中にあってどこも裕福に見え、そのノンビリとした様からも優雅にも見えて映る。
このマリア家も通りに面した共同の玄関の鐘を鳴らして中へ入るといきなりガレージがあって、そこには古いシボレーが停めてあり、このシボレーを駆って旦那さんが出かけることもあった。

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左からカサの娘ヨラ、マリアさんと旦那さん

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25ペソの部屋は狭きながらもパステル・カラーの内装が明るくお洒落だった

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カサの中庭

カサは中庭に面した2部屋以外にも屋上にキッチン付きの部屋があり、ここにはカナダのトロントから来たオラシオ&カトリーナ夫妻が滞在していた。
この夫婦は旦那のオラシオが黒人でまだ若く、奥さんのカトリーナは年輩の白人だったが実に仲が良く、夜僕が何気に屋上に上がってふけっていると自前のアルゼンチン産ロゼ・ワインをご馳走してくれたりした。

カサの娘ヨラも明るく親切に接してくれた。
僕が疲れていると言うと知り合いのマッサージ師を紹介して呼んでくれたり、美味しいお店や安いお店を紹介してくれたり。
自分の英語は堪能には程遠いが、それでも英語の普及が日本と変わらないキューバで英語を通してコミュニケーション出来ることは貴重だった。

何はともあれ、二転三転した最初のカサは「カサ・マリア」で落ち着き、僕はここを拠点に3日目の昼まで周辺のセントロ地区を中心にさまよい歩く。

ざわめきの街を…。

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カサ・ルイス・ミゲール
http://www.cuba-junky.com/havana/casa-luismiguel.htm
http://www.casahabana.net/index.htm
Campanario # 63 Bajos, between San Lázaro and Lagunas, Havana Center, Havana Cuba

カサ・マリア
http://www.cuba-junky.com/havana/casa_maria_centro.html
Campanario # 164 Bajos, between Animas and Virtudes, Havana Center, Havana Cuba
Posted by sammy - 2009.06.16,Tue


6月1日午後5時成田発エア・カナダ、トロント行き。
まずはカナダのトロントまで飛び、そこで1泊した後、翌朝8時半発のフライトでキューバの首都ハバナまで飛ぶ。これが今回のフライト・スケジュールです。

そもそも今回の旅。
4月末から突如、世界的大騒動となった新型インフルエンザ騒動の煽りもあってさすがに今の時期、「海外旅行へ出かけると言う御時世ではないだろうなぁ」などと思いつつもトロント行きエア・カナダ便はまずまずの搭乗率。それでも機内後方になると窓側3席がそのまま空いている列もあり、運良くそちらをゲット!
成田~トロント間は3席使い放題、寝っ転がり放題、さらにはアルコール類も飲み放題と言う今の御時世にしては、いや、今の御時世のおかげで(?)贅沢なフライトを満喫させてもらいました。

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明けて6月2日朝。
いよいよキューバへのフライトです。
国交のないアメリカからはフロリダへのチャーター便以外、一切のフライトのないキューバですが、カナダのトロントからはエア・カナダが週4便往復しており、さらにはキューバ国営のクバーナも何便か飛んでいます。
地理的にはトロントはアメリカ国境からわずか130kmほど北よりの距離にあるし、そこから南へ下ったキューバの首都ハバナとアメリカのフロリダ半島先端との距離もわずか150kmほどしかないわけで、このフライトはまさにアメリカと言う国をまたぐフライトでもあり、それは政治的意味合い諸々の事情ゆえのまたぎでもあります。
そう、キューバと言う国は21世紀の今尚、アメリカ帝国主義に追従することなく立ち向かい、国民皆が最低限の暮らしと営みを保障され、医療や教育といった本来なくてはならないものを無料で受けられる社会主義国であります。

* * *

今回が実に3度目のキューバです。
1度目は2001年2月。
映画「ブエナビスタ・ソシアルクラブバンド」で観た素のままのキューバを肌で感じたく渡航し、そこはまさに現代に残された時の止まった街、人々の笑顔が絶えない楽園でもありました。
2度目は2005年6月。
「もう一度行きたい」感情から数えること4年。再び訪れた楽園は楽園のまま、そして先の見えない社会主義体制の中で「今を楽しく生きる」姿がありました。
そして今回。

* * *

朝8時半。
ほぼ定刻にトロントを発ったフライトは眼下にアメリカの大地を覗きながら、ハバナへと向かっています。
機内はほぼ満席。
そして「僕だけかな?」と思っていた日本人は僕の前に若い男女の日本人が3名。さらにその前方にその仲間や社会人らしき男性もおり、合計7名ほどが搭乗していました。
「きっと、カナダのワーホリ仲間らでパッケージのツアーでキューバへ遊びに行くんだろうなぁ…」。
などと思いつつ、同じ便に乗っていた若い日本人らの正体を後ほど知ると、「ワーホリですか?」などと野暮な質問をしなくてよかったなとホッと一息。
若い彼ら彼女らは実はハバナで行われるフェンシングのワールドカップに出場する日本代表選手らで、北京五輪でメダルを獲得したあの太田選手のネーム入り荷物が到着後に出てきてやっと、その正体がわかったわけです。
いやはや、失礼いたしました(笑)。

* * *

そんなこんなでトロントからわずか3時間ちょっとの飛行時間で定刻の12時にハバナ到着。
と同時にゆる~い空気を感じます。
誰でも平等に生きてゆける社会主義国家キューバでは、我先にと頑張る必要は程々ありません。
皆々がゆる~く、そして軽~く生きています。

機内で渡されて記入したいくつかの入国書類。
初日の宿の住所を書いたコピーを預け入れたスーツケース内に入れてしまってあったため申告書へ記入できずにその旨を話すと、「あ、それだったら後で書いてここへ持ってきて」。
で、バゲージからスーツケースが出てきてコピーを取り出し、記入を済まして再びその場へ行くとすっかりと仕事を切り上げてお喋りに夢中になっている。
結局、渡せずじまいで書類を受け取らなかったばかりか、他にも記入しただけで手元に残った申告書が2枚。
要は肝心なのはビザだけで、それさえチェックできればまるで遊園地みたいに「さあ、どうぞ入ってください」とばかりに外貨獲得資源の観光客らを入国させる。
そのビザだってハバナ行きのフライトの中で無料配布だったしね(笑)。

さあ、こんな国へ入ってしまいました。
キューバ出国はちょうど1週間後の6月9日の同時間。
7泊8日のキューバ旅が始まります。

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