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sometime,somewhere...
Posted by - 2025.03.12,Wed
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Posted by sammy - 2012.11.19,Mon

下町風情 / Yangon, MYANMAR


いろいろと考えてしまうことが多かった今回のミャンマー。

2月に行った時、僕は少なからずの衝撃じみた感情を覚えた。
いかにも安っぽい商品がわずかばかり陳列する路上の物売りに小さな個人商店。
オンボロ過ぎるバスにすし詰めの人々。
暗い夜道に華やかさがまるで感じられない街。
何十年も変わっていないだろう人々の生活は近代化とは程遠く、「チャンスを与えられない人々」に同情もした。
国が変わると言われる今でも、その状況は変わっていないと思う。
ただ、徐々に変化は見える。今度はその変化に僕は戸惑いを覚えた。

「さくら図書館」という日本の本を貸し出すコミュニティー・スペースを運営するサンダーとザーニーとは2月のミャンマーで知り合った。
泊まっていたゲストハウスで日本人相手に話す機会を求めている2人の存在を知り、ちょうど運営資金稼ぎのために「有料でどこでも案内します」というガイドを始めた時で、僕はその第一番客だった。
その時僕は図書館を閉めた夕暮れ後にライトアップされたパゴダへ連れて行ってもらい、その翌週には郊外の村へ行くつもりがその途中にあった孤児院で立ち往生し、素朴すぎるミャンマーの子どもたちと束の間のふれあいを楽しんだ。
わずかながらであったふれあいが旅の続きを呼び、同じ年内に再びミャンマーへと誘う要因となった。
ただ、この8ヶ月間、サンダーとザーニーの様子は分からずじまいだった。
近況を伝えると言えば4月に一度、郵送で送った写真が届いたことと図書館の場所が変わるかもしれないことを伝えるメールが届いたくらいで、こちらからのメールへの返事はほとんど無く、やっと届いた返事は9月に日程やら航空券の手配を終えた後だった。
2人には再会したかったが、その様子やら状況が分からないまま手配に至ったからこの旅でのヤンゴン滞在はわずか1泊だけだった。それは、2人に会わないのであればとりわけ、ヤンゴンには用がないということでもあった。

その後にいただいたメールでは図書館の場所は移転をし、「スーレー(パゴダ)のあたりの20階のホテルの裏」へ引越しをして、今は(日本語を教える授業で)忙しいという知らせだった。
僕のヤンゴンは1泊だけだったから、ふたりにその1泊の予約を「東京ゲストハウス」へ頼んでもらい、忙しい中ではあるけれど到着した日の夜のパゴダとその翌日の孤児院再訪だけは出来るようにメールでお願いをした。
ただ、ふたりの詳しい状況は伝えてもらえなかったから、実際にどうなのかは行ってみないと分からなかった。


IMG_9323c.JPG
サンダーさん(左)、妹(中)、ザーニーさん(右) / Yangon, MYANMAR


僕の中で「大丈夫だろう」と思うふしはあったが少なからずの悪い予感は的中し、空港からゲストハウスへ行くと予約をしていながら満室だと言われた。
確かに予約は入っていたが今朝9時に電話で再確認したら「(確実に来るのか)分かりません」と答えたため、飛び込みで訪れた西洋人に部屋を与えたという。
後で分かったのはこの弁明は全くの嘘で、実際の電話は「来るのであれば今すぐお金を支払って欲しい」と言われ、「今は払えない」とふたりが答えた1分後に「やっぱり払います」と答えた時には既に予約はキャンセルさせられたと言う。
ふたりへの差し入れの本や孤児院への寄贈品やらで20kgを超える荷物を持った僕は歩いて宿探しをするわけにもいかず、東京ゲストハウスのフロントで他のゲストハウスの空きを探してもらうことになる。
結果、7年前に泊まったことのあるビューティーランド・ホテルⅡに空きがあり、1泊$28という当時の倍の値段で泊まることになる。
今のミャンマーは宿泊施設が質、量ともに不十分なところへ観光やビジネスの需要が殺到をし、どこも設備に似合わない料金を提示してくる。勝手に予約をキャンセルされた東京ゲストハウスだって高い値段でボッタくれる西洋人が来たから、ここぞとばかりに部屋を貸したことは明らかだった。


IMG_9402c.JPG
Down Town / Yangon, MYANMAR


移転した「さくら図書館」はこのビューティーランド・ホテルⅡのすぐ近くにあり、付近にはサクラ・タワーにトレーダーズ・ホテルがある一等地だった。
到着した30日が現地では雨安居明けの祝日にあたることから閉まっていたが、ふたりは中で僕が来るのを待っていた。
訊けば、今日はお祭りの日だから家族で食事をしなければならず、夜7時半までには帰らなければならないらしい。
さらには、ザーニーさんは今晩遅くからバスで旅行へ出掛けるため、明日の孤児院再訪はサンダーさんが午前の日本語授業を妹に代わってやってもらうか、授業後の11時半以降でなければ行けないらしい。
僕は明日の午後、ヤンゴンからバガンへバスで向かうことになっていたが、その出発時間はチケットを買わなければわからなかった。
バスのチケットはこの「さくら図書館」でも代行販売をしていたが、ザーニーさんに出発時間を尋ねてもよく分からないみたいだ。どうも、このあたりがおかしい?
結局、近くにあるチケット販売所でチケットを買い、そのまま近くの日本食レストランで食事をした。
この時、同伴したザーニーさんの妹の食事代も含めて僕が全て支払ったことから、夕方のパゴダ案内同伴は無料扱いになったが、実際には1人1000円をいただいて今は案内をしているらしい。
2月に行った時には始めたばかりで、わずかながら「気持ちだけ」ということで何人であろうが600円でリクエストのあった場所へ連れて行く名目だったから、短期間でかなりの値上がりになる。
なんでも、こうしなければ家賃が高いのでやっていけないそうだが、ふたりはいわゆるプロの案内人ではないし、普段は授業で忙しいサンダーさんが同伴できずに日本語がハッキリとしないザーニーさんだけが連れて行っているというから、有料でありながら言葉が通じ辛いこともある。

* * *

翌日はバスの出発時間が夕方6時だったことから、サンダーさんが授業を終えた午前11時半出発でヤンゴンの隣町タンニンにある孤児院へ再訪をした。
この時、前夜パゴダで知り合った日本人も一緒に参加したから2人で2000円を支払ったが、これは現地の物価を考えると相当な額に値する。それでいてお客さんである僕たち日本人の世話をするわけでもなく、サンダーさんはそのほとんどを同伴させたザーニーさんの妹と遊んでしまっている。
僕は正直なところ、「気持ちだけ」のお礼をいただく形でこのように遊びながら案内をするのが合っていると思ったし、僕らも喜ぶ形に収まる気がした。
この国で4時間で2000円の収入は日本では2万円を稼ぐ計算にもなる。
僕らが日本でこれだけのお金を稼ぐためにどれだけの働きをしなければならないのかを考えた時、「さくら図書館」のやっていることに心配な気持ちを覚えた。
家賃が高いのは仕方がないのか、仕方がないようにしかできずに見合うことができないのか?

旅の終わりごろ、「好意をもってもらうこと」と「背伸びしないこと」の大切さを書いたメールを日本語が堪能なサンダーさんあてに送った。今回も返事は2週間経った今なお無い。
その後の旅の中でも大方の国民が窮屈に見える生活を強いられている姿を見るにつけ、稼ぐことの意味を考えてもらいたかった。
ふたりはまだ、若いから。



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Posted by sammy - 2012.11.10,Sat

U-Bein Bridge / Amarapura, MYANMAR


旅から帰りました。
ミャンマーをヤンゴン~バガン~マンダレーと1週間で周る旅をし、帰国の途に着く前に1泊だけトランジットでバンコク滞在。トータル9日間の旅の行程はちょうどいい息抜きを兼ねた逃避となりました。
およそ8ヶ月ぶりだったミャンマーでは、見て取れる「変化」に複雑な思いを感じたものの、大方の国民はそういった「変化」にすら関わることが出来ず、変わらぬ貧しい生活を強いられています。
そして、今後大きく変わって行くだろうこの国の「今」を見に、特に欧米諸国から大挙してツーリストが押し寄せています。
その「異常」さを示すのが急激に値上がりを続ける宿泊代金であり、慢性的な部屋不足は信じられないような分不相応な値をつけて僕らを泊まらせてくれます。
ある意味、今のミャンマーはこと外国人相手の仕事は行く末知らずのバブル真っ只中なのかもしれないです。
旅の最中、僕はどこかしら附に落ちない気持ちを引きずり、旅をしていた気がします。
どこの世界でも「実力」以上の見方をされてしまうと、その先に待っているものは「衰退」しかありません。
誰もがこの国の未来に明るさを感じる今、分相応に生きている大方の貧しい国民たちに「頑張れよ!」とエールを送りたい気持ちと、「ちょっと待てよ…」と思ってしまう気持ち。
そのバランスが整った時こそ、真の民主化へ向けて走り出せるんじゃないでしょうか。

いずれにしても今のミャンマー。
いろんな意味で過渡期を迎えていると思いますがまだまだ、アジアの郷愁がゆったりと流れています。

Posted by sammy - 2012.10.27,Sat


屋台の青年 / Yangon, MYANMAR


連日の野球中継に熱狂していたら10月も早や月末。
30日満月の夜、雨安居明けのお祭りを祝うミャンマーへのふたたびの旅も出発が間近。
たった8ヶ月おいての再訪問とは言え、「この8ヶ月でも急速な変化が見られる」とは最近見た某TV番組での説明。
2月の旅を終えた後、「どうしても年内にふたたび行きたい!」と強く願って実現する今回の旅。
出発は29日深夜です。