忍者ブログ
sometime,somewhere...
Posted by - 2025.02.03,Mon
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Posted by sammy - 2010.02.27,Sat



思わぬ形で足を踏み入れることになってしまった街、バンガロール。
言わずと知れた、今をときめくインドIT産業の最大拠点だけあって、まずは美しく巨大な真新しい空港に「えっ、ここがインド??」と圧倒され、さらには空港から市内へと向かうシャトルバスが日本のそれらと変わらないことに不思議な感覚を覚え、さらにさらに、市内へと向かう夜の一本道がインドらしからぬ整然化されていたことにインドの中にある異空間を感じた。


IMG_5330a.JPG
2年前に新しく完成されたと言う新空港はまさに、未来のインドそのものの輝きを放っていた


「今あるこの街はこれから未来のインドなのかもしれない」
少なくとも最初はそう思った。
それが…。
30分、40分と街へ進むと、段々とボロが見えてくる。
歩道を歩く人の群れ、乱暴に走り抜けるオートリキシャー…。
暗闇に映るそんな姿に、「あっ、ここも今のインドなんだなぁ」と夢から覚めたような気持ちになる。
それでも、この街は整然としている。
シャトルバスを降ろされた場所には高速道らしきガードがあったし、うごめくように人々が歩いているインドの怪しく危なげな雰囲気にも程遠い。

つい先ほど、空港で予約したホテルは市内中心部のブリゲード・ロードにあった。
明日の朝一番で出向かなければならないキャノンの修理センターの住所に近いのが選んだ理由だった。
僕はこの時点でブリゲード・ロードがどこにあって、そこがどんな場所なのかも分からなかった。
ただ、シャトルバスは「ここで降りた方がいい」と車内でアドバイスされ、ここからは「歩いても行ける」と言われたが、さすがに夜の11時にもなり、地図も持たずにホテルの住所だけ分かる新参者が暗い夜道を歩いて行けるわけがない。
オートリキシャーを拾ってホテルの住所を告げるも、降ろされた場所はMGロードとブリゲード・ロードが交差する入口で、ここからはオートリキシャーは進入出来ないから「歩いて行ってくれ」と言われた。
この時初めて、このブリゲード・ロードはバンガロールの繁華街のことであり、降ろされたその場所からは「ケンタッキー」も「マクドナルド」も「アディダス」もある、西洋文化そのものが存在する最新のインドの街なんだと分かった。
僕は今まで北インドのデリーやバラナシでも、こんな日本と変わらないような街の景色は見たことがない。
そんな、インドらしくないインドを感じたのも束の間だった。


IMG_5315a.JPG
人々が行き交う夕方のブリゲード・ロード


夜11時を過ぎてまだ尚、灯りも人々の行き交う姿も賑やかな繁華街を一度歩き出せば、次から次へと喜捨を請う物乞いたちが旅人の姿を見つけたとばかりに近寄ってくる。
それらは全てが女性、そして子ども。
いわゆる、プロの物乞いたちだろう。
少なくとも僕はほんの50分ほど前、同じこの街にある最先端の空港の美しさに圧倒され、そこからは未来の、これからのインドを感じたが、そんなこの街も僕がこれまでイメージするインドと同じ部分を失ってはいなかった。
そんな現実に、「やはり、インドはインドだったんだなぁ」とそれまでの気持ちから引き戻される。


IMG_5312a.JPG
繁華街から一歩離れた道路脇で売られていたフルーツ


IMG_5327a.JPG
夜のブリゲード・ロードに立って花を売る少女


このわずかな時間の中で感じたのは、「インドの今とこれからとこれまで」が同居した街、それがインドの最先端を行く街バンガロールだった。


追記:
この街へ予定外にも来るキッカケとなったカメラの不具合は突貫修理の結果、完全には直らないまでも「時々写せて時々写せないことがある」原因不明状態までは回復をした。
ここに載せてある写真は全て、「時々写せた」時に撮った極僅かなもの。
やはり、僕の旅はカメラと道連れに記憶を残したいと思った次第!
PR
Posted by sammy - 2010.02.22,Mon
2月9日夜、成田からシンガポールを経て着いた先はインドの南、コーチンだった。
僕の旅はここコーチンから南に下ってバックウォーター、そしてインド亜大陸最南端に位置するカニャークマリで折り返し、最後はコヴァーラム・ビーチでくつろいだ後、トリヴァンドラムから再びシンガポール経由で帰る。綿密に、練りに練った旅のスケジュールを立てていた。

ところが到着翌日、カメラを取り出し手始めに1枚写そうとすると…写らない!
スローにシャッターが落ち、液晶には「Err20」というエラー表示が出るのみ。
「電源のON、OFFもしくはバッテリーを入れなおしてください」とも表示されているからその通り指示に従っても、最初の1枚だけ写せて2枚目以降はエラー表示が出るのみだったり、全く最初からシャッターを落とせずにエラー表示が出るだけだったり、らちがあかない。

原因をつかもうと近くのインターネット屋を探して調べるも、そこの店では全てのPCで日本語表示が不能。
しかし、僕にもツキはあった。
偶然にも狭い店内で話しかけた西洋人が「ニホンジンデスカ?」と日本語で返してきた。
彼の名はミシェル。
日本に2年間滞在経験のあるフランス人だった。

僕から事情を聞いたミシェルの尽力でキャノンの連絡先を調べて電話をしてもらい、このコーチンにも修理を受け付けるサービスセンターがあること、そして修理をするならばバンガロールまで行けば修理センターがあることが分かった。
優しい顔立ちのミシェルは「私も日本に行った時に困って日本人に助けてもらった」ことを引き合いに出して、僕のカメラが直るように付き合ってくれた。
英語が堪能ではない僕にとって、彼の親身になる手助けは何よりも心強かったが、写らない原因である「Err20」を解明するにはやはり、バンガロールにある修理センターまで行かなければ無理だということになった。

僕の旅の日程を考えれば明日1日、もしくは明後日までに直してもらって再びコーチンまで戻れれば、旅自体は可能だったがもし、直らなかった場合のことを考えると、このままインドの旅を続ける気持ちにはなれなかった。
インドはやはり、強烈な印象を受ける国であり、その強烈に惹かれて僕もこの地へやって来たわけで、その大きな目的は強烈を写し出したい事だった。
だから、写せないと分かった後も「アッ!」と琴線にふれるシャッター・チャンスは何度もあったし、その都度悔しい思いもした。
この悔しい思いを続けるには辛いという判断があったからだ。
そして、「最悪…」と興醒めた瞬間浮かんだ先に、ある行き先のことも考えていた。
酷な旅を続けるよりは、旅慣れた場所へ行けば自ずとカメラの用途は減る。
そう思った時、真っ先に浮かんだのはバンコクだった。
居心地のいいバンコクでいつか、滞在型の旅をしたい。
そんな願望はあったが実際にはトランジットを兼ねた短い滞在がほとんどで、いつも慌しさが先にあったから浮かんだのかもしれない。
旅の方向も国も違う旅に切り替えるのか?
気持ちは相当に落ち込んではいたが下を向かない代わりに、僕はそんな問答をカメラの復活に結論を委ねる形で繰り返し始めていた。

* * *

バンガロールへはその日の夜のフライトで飛び、紹介されたブリゲード・ロードにあるキャノン修理センターに近いホテルを到着後の空港で探し、翌10日は朝一番でカメラを修理に持ち込んだ。
当初は「昼11時くらいまでに直る」という見解だった。
だから、待ち時間を利用して再びコーチンまで戻る航空券の手配なども済ませたが、受け渡し時間は先延ばしにされるばかりで中々進まない。
最終的には午後3時までと言われて一旦、昼食を取りに外出もし、ホテルへも戻って荷造りも済ませた後、キャノンへ戻ったが、そこでの最終見解は「intermittently=断続的に、間欠的に」と言う曖昧な回答でカメラは完全には直っておらず、時々写せて時々写せない時があると言うことだった。
要は、原因をつかめないこともあって完全に直すには1,2日では無理だと言うことで、修理代金も「持ち込み代の221ルピーだけ請求させていただく」と言う結論だった。

キャノンの見解どおり、引き渡された最初の時、試しにシャッターを切ると再びエラーだった。
期待は持たせてもらったが、「もういいや…」と言うあきらめの気持ちもすぐに整理はでき、一旦カメラを預けたまま再度近くにある旅行代理店へ出向き、払い戻し不可を承知の上、コーチンまでの航空券をキャンセルし、あらためてインド出国となるこの晩のバンコク行き片道航空券をその場で購入した。

思えば僕は、インドに呼ばれていなかったんじゃないかと思う。
皮肉なことに「intermittently」と判断されたカメラは航空券を買いなおして修理センターへ受け取りに戻ると、今度は一転、「カシャッ」とシャッターが切れた。
だから、ホテルまでのわずかな途上でも数枚、シャッターを切ることは出来たが、ホテルへ戻ってからは再びシャッターが落ちない状態になっていた。
実に気まぐれゆえに、真剣に考えてしまえばこの上なく苛立つが、もうその時は気持ちの整理はできていた。


IMG_5303.JPG


結果論で言えば、その後は1度もエラー表示が出なかった。
しかし、それはあくまで結果論であって、この旅の過程では「intermittently」だったわけだから判断はお預けにしよう。
少なくとも、突然の旅の変更はドラマに似たスリルもあり、予期せぬ旅は旅本来の楽しさも伴い、さらには開き直った僕は旅慣れたバンコクで力の抜けた脱力感のある日々を謳歌する。
そして、本来はなかったはずの様々な出会いがあるから、旅は楽しい。

災い転じて福となったかどうなのか、少なくともカメラの不具合は僕の旅を変えた。
これも旅なんだと思ってしまえば上を向けるが、少しだけ覗いてしまったインドへの未練は十二分にある。
僕はいつか、南インドの旅をやり直すつもりでいる。
ミシェルが僕に話してくれた、「バックウォーターは色が違う」景色を僕の色で撮ってみたい。
もちろん、その時は「インドに呼ばれる男」でありたいと願う。
いつの日か…。
Posted by sammy - 2007.11.29,Thu


インドの幼い子供たちはまるで神の子のように、
目じりをメークさせた子が多い。
小さな雑貨屋を営む父は、
そんな幼い娘を優しく抱きしめていた。

【Nov,2007 / インド・バラナシ】