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sometime,somewhere...
Posted by - 2025.02.02,Sun
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Posted by sammy - 2016.02.18,Thu

a girl back the sunset / Siem Reap, CAMBODIA


飛行機のタラップから降りるとそこにはまた、いつもの夏が待っていた。
カンボジア、シェムリアップ。
ここ10年、ほぼ毎年のようにこの地を訪れている。
そして、することと言えば村めぐり。
キッカケは観光客向けの遺跡や名所だけではない、素のままのアジア、そこにある生活や暮らす人々たちからアジアの今を感じてみたかった。
そんな観光とは無縁の旅は今年で10年目を迎える。

改装中の空港は到着フロアがいつのまにか広く新しくなっていた。
この街はアンコール・ワットに代表される遺跡群への観光で潤っている。
初めて来た2003年はその上昇気運のまさに真っ只中でその4年後、2度目に訪れた時には街はすっかり完成されたツーリスト・タウンと化していた。
何もかもが揃っているから居心地がいい。
この街は旅人には至れり尽くせりだから、ストレスを感じることなく過ごせる。
安いゲストハウスも日本語も、マッサージも洗濯も、美味しい各国料理も日本食も、何もかもが物価安でここにはある。

そしていつしか、こうして足繁く通ううちに現地にはフレンドもできた。
いつも食事は僕からの奢り。
それがこの国の人たちへの恩返しだと思って続けている。
世界は不公平でありながら平等を望むのであれば、せめてそのくらいはと思っている。
一言で言ってしまえば簡単だが、この国はまだまだ貧しい。
だが、その貧しさは深く、簡単に解決できるものではない。



a shop / Siem Reap, CAMBODIA


旅の初日。
昼過ぎに着き、午後2時待ち合わせでバイク・タクシー(通称バイタク)と呼ばれる原付バイクの後ろに乗って村めぐりをスタートした。
今回のドライバー、ピアックは僕の初代ドライバー、サンからの紹介で今回が2度目。
日本語も堪能でユーモアもある純朴な青年だ。

滞在日数は4日間あったから、初日は近場の村を周った。
アンコール・クラウ村からスタートし太陽が傾きかけた夕方、クロバイリエル村に到着した。
カメラを向けた先の人々はいつものように笑顔だった。
屈託がない、この地の人たちの特徴。
それがアジアで人の優しさで、強い日差しが差しこむ村の雑踏や農村の景色も輝くように印象付け、その輝きを僕は写し出す。
何もかもが美しい。カンボジアだった。



/ Siem Reap, CAMBODIA

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Posted by sammy - 2016.01.19,Tue

peace smile / Siem Reap, CAMBODIA


ずっと脳裏に焼きついていた映像と音楽。
僕にとってのそれはポール・マッカートニーの「Let It Be」で、ライブ映像と音源はカンボジア難民救済コンサート。それを目にした場所は今から35年前の東京・秋葉原の電気屋さんの前だった。

当時、仲の良かったいとこらとGWを利用していった大都会東京一泊旅行。
東京ミニ周遊券なる乗り放題切符だったから、静岡行きの最終鈍行列車を待つわずかな時間を使って「何でも揃っている」秋葉原へ地元では在庫のないレコードを買いにグループを離れ単独行動で行った。
その時、オンエアされていたのが「カンボジア難民救済コンサート」の映像で、そのラストの方でポールが切々と唄う「Let It Be」に僕は運良く巡りあった。



brother at landscape / Siem Reap, CAMBODIA


昨晩、ふとそのことを思い出し検索してみると、そのときの映像も音源もYou Tubeの中にあった。
実に35年ぶり、路上で立ち止まり最終電車の時間を気にしながら見入ったライブ映像が甦った。

https://www.youtube.com/watch?hl=ja&gl=JP&v=bjAHRwI6oSk



sadness boy at school / Siem Reap, CAMBODIA



hug / Siem Reap, CAMBODIA


その当時はカンボジアの内戦も惨状も知る由もない高校生だった僕は、「カンボジアってのはかわいそうな国」の印象だけを強く持つ。
まさか、その国へ毎年のように訪れる未来があろうとは、夢の欠片にも思わなかったはずだ。



good friend / Siem Reap, CAMBODIA



smile playing water balloon / Siem Reap, CAMBODIA


内戦が終わり、今のカンボジアはまだまだ貧しいけれど平和だ。
人々は屈託なく生き、子どもたちは笑顔を絶やさずに今を生きている。
あの時、ポールが唄う「Let It Be」は高校生だった僕に何であそこまで強く印象付けたのだろう?

あの時代があったから今があり、あのライブを見入った人たちが感じた心があったから今のカンボジアもある。
あれがカンボジアを思うことの原点だったのかもしれない。


Posted by sammy - 2016.01.13,Wed

光りの中の子どもたち / Siem Reap, CAMBODIA


毎年、誕生日を迎える2月1日は、真冬の日本とは真逆の暑い海外の地で夏休みを過ごしています。
今年も今月末28日からひと月遅れの正月(?)休みをいただき、その行き先は3年連続でカンボジアのシェムリアップへ決めました。昨晩のことです。
現地で周辺の村々を周るバイタク運転手の手配が済んだことが決め手ですが、誘ったのは「もう、これが最後かも…」と行った昨年6月の旅を経てもなお、自分の中に残る物足りなさ、まだまだ追い求めてゆきたい、関わってゆきたい、そんな思いの強さがあったからだと思います。
事実、カンボジアの写真展を再びやりたいと思っても、何か足りないなという思いは常にあり、その何かを再訪すれば得られるのかと言えば決してそうではなく、これは達成してしまってはいけない、そう思ってはいけない永遠の追求にしてゆきたいと思うほど、僕の中ではこの地に対する強い思いがあるのだと思います。



幼き孤児たち / Siem Reap, CAMBODIA


そんなライフワーク以外にも、この地へ誘うのは居心地のよさもあるかもしれません。
アジアの軽さは普段はアリのように働いている日本人をキリギリスへと化してくれるし、何年も通い続けるうちに顔見知りもでき、かつては訪問先だった孤児院の子どもたちも今や立派な青年となって迎えてくれます。

今回のバイタクは、かつてのバイタク運転手だったサンくんの紹介で前回も2日間務めてくれたピアックが応じてくれました。
日本語が上手でユーモアがある。そんなピアックとの再会も楽しみ。

出発まであと2週間。
暑いアジアの夏が待ち遠しいです。